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井上孝司の Defense Column
〜 「安全」のコストは無駄ではない各界であれほど懸念されていた 2000 年問題 (Y2K) も、フタを開けてみれば、それほど大きなトラブルもなく推移しているようで、喜ばしい限りである。
個人的にはガセに決まってると思っていたが、昨年、大量に発売された、いわゆる「終末論的 Y2K 本」の内容は見事に外れ、電気もガスも水道も問題なく供給されているし、電車も飛行機も自動車もちゃんと走っている。マイナー トラブルは出たものの、金融界や産業界でも、致命的な騒動は出ていない。これらはまさに、関係各位の努力の賜物というべきだろう。この場を借りて、Y2K 対策に携わった皆さんに感謝したい。
ところで、今回問題にしたいのは、大きなトラブルがなかったことで、逆に「騒ぎすぎだったんじゃないか」という意見が出てきたことだ。
トラブルがなかったのが、官民挙げての対策の結果なのか、元々問題がなかったためのものなのかは判断できないし、実際のところ、ケース・バイ・ケースなのだろう。しかし、何も対策を取らずに能天気に構えているよりも、ちゃんとシステムを点検する方がいいに決まっている。それを無駄だと論じるのは、安全保障や危機管理というものが、まったく分かっていない人の言い草である。
安全保障にしろ危機管理にしろ、「あるかもしれない万一の事態」に備えるものだ。だから、そのために投下した人員やコストは、結果として何もなければ、一見しただけでは無駄に見える。しかし、現在は問題がなくても、将来的には何か問題が生じるかもしれないし、常に危機に対する備えを怠るべきではない。
たとえば、自称平和団体の諸氏は、しばしば「客観的に状況を判断すれば、北朝鮮が戦争など起こすわけがない」と主張することで、在日米軍や自衛隊の存在を否定しようとする。しかし、客観的に見て負ける戦争でも、イチかバチかで仕出かした例はいくらでもある。現に、この国にも太平洋戦争という実例がある。
結果的には、朝鮮半島情勢は平和裏に両国の共存、あるいは統合 (その場合、韓国が主導権を握るのは間違いない) に進む可能性はもちろんあるが、そのことを期待して、一方的にこちらの軍事力という「備え」を削減するのは自殺行為である。軍事力による圧力で「戦争しても勝ち目がない」ことを悟らせる一方で、何もしなければ、こちらから北朝鮮の領土に侵攻することはないという「なだめの信号」を発するという、硬軟両用の作戦が現実的である。
結果的に平和裏に事態が収拾したときに「あれは無駄だった」というのは、後知恵というものである。そんなのは子供でもいえる。しかし、楽観的な見通しを抱いておいて、後で足元をすくわれるぐらいなら、悲観的な見通しの元に万全の準備を進めておいて、それが無駄に終わる方が、はるかに好ましい。それが、安全のコストというものだ。
この国では、こと国防に関しては、平素は「そんなこと起こりっこないさ」という極度に楽観的な主張がハバをきかせているが、多分、そういうことをいう人に限って、いざ花火が上がって自分がトバッチリを食らうと、一転して「政府は何をやってたんだ」と文句をいうのがオチだろう。(テポドン試射のときの騒動を見よ)
そのくせ、Y2K に関しては、ことの本質をよく理解せず、いたずらに危機感を煽り立てて、食料品その他の備蓄に走るというのだから、どうもチグハグである。日本は地震国なのだから、食糧備蓄などというのは、Y2K 問題があろうがなかろうが必要なハズなのだが。
もっと、「危機」や「脅威」の本質を冷静に見極めた上で、必要な「安全のコスト」に関しては、長期的な視野の元で惜しまずに支出する、という姿勢が必要ではないかと思う。それでも想定外の事態が発生してしまったときには、いかに迅速に状況に適応するかが問われようが、それも平素の準備あればこそだ。
どうも、何事につけ、反応が場当たり的過ぎるのだ。こんな調子でいいのだろうか。
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