井上孝司の Defense Column
 〜 冷戦終結に関するありがちな誤解

よく、「冷戦が終結したから軍事費の必要性はなくなって云々」という主張をする向きが見受けられる。

だが、これはとんでもない誤解である。確かに、米ソが核戦争をおっぱじめるような事態はなくなったといえるが、それがすなわち、世界に愛と平和の千年王国がやってきたことを意味すると考えるのは、いささかおめでたすぎる、現実を見ていない意見というものであろう。


冷戦期間中にも、あちこちで戦争はあったが、その多くは、米ソ両陣営が他国を前面に出して行う「代理戦争」という意味合いが濃いものであった。特にソ聯の場合、自国の存在を表に出さずに他国を手先に使って戦争をして、得られたノウハウはちゃっかりいただく、という傾向があったように思う。その極致がベトナム戦争だろう。

だが、同じ戦争でも、冷戦後に発生したものの多くは、意味合いが異なる。冷戦期の「代理戦争」は、それぞれの陣営にアメリカ、あるいはソ連という「後ろ盾」がいたから、その「後ろ盾」のコントロール下で戦争が行われていたといえる。しかし、冷戦後に多発している地域紛争においては、宗教、あるいは経済などのゴタゴタを引き金にして、各地で勝手に戦争を始めているという色彩が強い。

しかも、冷戦終結と財政難にともない、米ソ両陣営は軍事費の削減をせざるを得なかったため、米ソの「ニラミ」が効かない状況下で、当事者が撃ち合いをやっているという状況になってきた。そのため、ニュースもなかなか伝わってこないし、もしニュースになっても、報道する側に、過去の事情に関する認識がまるで欠けていたりする。

こういう類の戦争というのは、なまじ、大国同士が撃ち合いを始めるよりもタチが悪い。特に、宗教や歴史的行きがかりをめぐる怨念というのは年季が入っているから、国連などが仲裁に入っても、「はいそうですか」といって矛を収めるという風には、なかなかいかない。

一連のユーゴ紛争がいい例で、宗教的な違いに加えて、過去の領土を巡るいざこざと歴史解釈の違い、さらにクロアチアの場合は第二次世界大戦のときの (セルビア側から見れば)「寝返り」まで絡んでくるから、そう簡単に収拾できるわけがない。

正直な話、冷戦終結で本当に平和と自由を手に入れたのは、ドイツと東欧諸国、それとバルト三国ぐらいだろう。それにしても、多くの国で経済的な問題などを抱えているのが実情で、とても大団円とはいえない。


少なくとも、冷戦時代と比べると要求される戦力レベルは下がっているから、多くの国ではある程度の軍事費の削減はできるのだが、それをゼロに持っていけるような世界情勢ではないのは明白だ。

こういった事情を考えず、単純に「冷戦が終わったから世界は平和になって、軍備は不要云々」と主張するのは、はっきりいってしまえば、不見識の極みである。冷戦だけが紛争の種だと思うのも、やはり一種の冷戦思考というべきだろう。もっと現実を見てからものをいうべきだ。

もうひとつ付け加えると、冷戦時代から東西両陣営の間の相互訪問が実現していたヨーロッパと、北朝鮮側がいまだに堅く門戸を閉ざし続けていて、相互訪問どころか高官協議でさえまともに進まない朝鮮半島を同じ次元で比較するのも、これまた大間違いである。