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井上孝司の Defense Column
〜 贅沢は素敵だいうまでもなく、「ぜいたくは敵だ」とは、太平洋戦争中の日本の標語である。そして本稿のタイトルは、これも日本でいわれていた、件の標語のパロディである。いまさらいうまでもないが、太平洋戦争では、食うものも食わず、劣悪な生活環境のもとで戦う兵士と銃後の国民は、ものの見事に敗北した。
ガダルカナルでもインパールでも、敵弾に倒れた兵士と、餓死、あるいは病死した兵士と、どちらが多かっただろうか。おまけに、一度戦場に出たら酷使されっぱなしで、怪我するか、さもなくば戦死するかしないと内地に帰れなかったケースが多かったという。また、日本の潜水艦乗組員は、長期の哨戒任務から帰ってくるとゲッソリやつれていて、温泉地でしばらく休養を取らせないといけなかったそうだが、ドイツの潜水艦乗りはそれほどでもなかったらしい。もっとも、節水のためにヒゲぼうぼう、というぐらいのことはあったようだが。
水上艦にしても、大戦末期にはハンモックをすべて取り払い、デッキの上にござを敷いてゴロ寝していたというから、まともな睡眠など取れないことも多かったのではないかと想像される。なにしろ、鉄板の上に寝ているのである。
それに対する米軍はというと、比較的、ちゃんとした食事と衛生対策を備えて戦っていた部類であるといえそうだ。
南方のジャングルに設営された航空基地では、基地のまわりに DDT を撒き散らして蚊の襲来を防ぎ、マラリアなどへの感染を予防していたとも聞く。軍艦の中ではちゃんとベッドに寝ていたし、食い物については言わずもがな。潜水艦の艦内にアイスクリーム製造器を持ち込んだこともあったそうだ。そして、人員に余裕があるから、定期的に後方に退いて休養が取れる。
この状況は、湾岸戦争でもそれほど違わない。
サウジアラビア南部のカミス・ムシャイト基地に展開した F-117A の搭乗員は、高原の比較的涼しい気候の下、設備の整った基地で文明的生活を享受したあげく、敵に発見される可能性が極めて低い飛行機に乗って出撃した。
クウェートの砂漠では、イラクの兵士が、狭苦しい上に昼間は暖房完備、夜間は冷房完備の戦車に乗って待ち構えていたが、そこに襲いかかったのは、昼間は冷房完備、夜間は暖房完備、化学戦防護服不要、装甲強固、オートマチック・トランスミッション、そして取り扱いが容易で高精度な照準器と威力抜群の 120mm 砲を搭載した、米陸軍の M1A1 エイブラムズ戦車だった。これでは勝負にならない。
だいたい、我々日本人は精神主義だから、「厳しい環境に耐えて勝利するのがホンモノだ」と考えがちである。戦争に限らずとも、たとえば学校の運動部あたりでも、艱難辛苦の物語はお約束のようなものだ。
しかし、国民の日常の生活レベルが上がっている昨今、戦場でも、最低限の文明的な生活と衛生水準を保証しなければ、兵士の能率は大幅に下がってしまう。同じ能力を持つ兵士でも、文明的な生活と衛生水準が保証されているケースとその逆のケースを比較すれば、どちらが持てる力を発揮できるかは明白だろう。
さらにいえば、志願制の軍隊の場合は特に、生活レベルを上げていかないと、人材が集まらなくなってしまう。海上自衛隊が艦艇の二段ベッド化を推進するのも、至極当然のことだ。
そういう観点から見ると、太平洋戦争というのは、日本が自滅したという見方もできる。たとえば、当時、南方に進出した日本軍が作戦していた飛行場といえば、
というのが平均的な相場であったようだ。多分、ろくなものを食っていなかっただろうし、風呂に入ることなんてあったのだろうかと思う。こんな環境の下で長いこと過ごせば、戦わずして兵士が参ってしまう。
- 滑走路もその他の場所も、舗装などもってのほか。土ぼこりムンムン
- 搭乗員の宿舎はオンボロ、ときには南京虫のお出迎え
せめて、安眠できる場所とまともな食事、衣服の交換と洗濯設備、それに風呂に入れる用意ぐらいしておくのが最低限の水準というものだ。それができなければ、貴重な戦力が、戦わずして自壊してしまう。こんなことをいうと、戦時中に「アメリカの兵隊は軟弱だ」といって馬鹿にしたのと同じ論法で、「そうまでしないと戦えないなんていう軟弱者は、日本の兵隊ではない」とかいう人が出てきそうなものだが、軟弱者だろうが何だろうが、戦場で戦って結果を出せればオーケーなのであって、劣悪な環境に耐えられても、結果が出なければ駄目である。劣悪な環境に耐えるために戦争するのではなくて、国の護りのために戦争するのだから。(特に、女性の軍人が増えてきている昨今においては、なおのことである)
戦争とは少し違うが、第二次世界大戦の戦後、フランスがヒマラヤのアンナプルナに送り込んだ登山隊が、当時の最新技術で作られた軽量装備に身を固めて乗り込み、見事に登頂を果たして帰ってきた。これも、似たようなものかもしれない。
そう考えると、戦地における兵士の生活レベルを保障する能力というのは、その国の技術力や兵站支援能力に依存する部分が大きいことに気付く。兵士の生活レベルを向上させるには、燃料武器弾薬だけでなく、その他の補給品を大量に、かつ継続的に生産できなければならない。
また、必要な物資を製造・供給する能力も、その国の経済力や技術力に依存する部分が大きい。食い物を例に取ると、瓶詰めがナポレオン、レトルト食品が米陸軍の研究から生まれたのはよく知られているが、これらにしても、実際に製造する技術が伴わなければ、画餅でしかない。そして、できたものを今度は、ちゃんと戦地に輸送しなければならないのだ。
さらにいえば、人間工学などに関する研究が進んでいる国の方が、なにかと有利だ。兵器の開発ひとつ取っても、人間工学的な配慮の有無で、操作性の良し悪し、ひいては発揮できる実力レベルにも差がつくだろう。
だから、第二次世界大戦はいうに及ばず、現在ではさらに、こうした分野での各国間格差は開く一方といえるだろう。アメリカ、NATO 諸国、日本、韓国、台湾、オーストラリア、ニュージーランドあたりが上位ランクで、それ以外の国は、程度の差はあれ、より兵士に負担を強いているのではないかと思われる。北朝鮮あたり、いったいどういうことになるだろうと考えると、本当にゾッとする。
そういった、「食う寝るところに住むところ」という観点から軍隊の能力を測るということも、ときには考えてみてもいいのではないだろうか。現在だけでなく、過去の戦争について研究するときもだ。結局、そこで人間が生活していることに変わりはないのだから。
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