井上孝司の Defense Column
 〜 防衛庁の機密保持感覚に関する疑問

手元に、朝日新聞社から刊行された「兵器産業」という本がある。中部地方に点在する、兵器を製造しているメーカーを訪ねて取材した連載を一冊の本にまとめたものなのだが、この本の中に、メーカーの社員の身元調査の話が出てくる。

特に念が入っているのが、三菱重工や川崎重工で、航空機やミサイルの製造・開発部門に異動させようとする社員の話だ。「しかるべき方法で、しかるべき期間を使って」としか書かれていないが、半年から一年近くかけて、本人だけでなく家族に至るまで、「好ましくない団体との関係が存在しないかどうか」などを調べ上げて、問題がないとなって初めて、異動が実現するのだそうだ。

これは、機密保持のための対策に関するプロポーザルを、防衛庁側が事前にメーカーに対して求めていて、メーカーは防衛庁に提出した要項に則っているということらしい。そして、もし何か失態があれば、メーカーは防衛庁からお目玉を食らうのだそうだ。

確かに、機密保持ということを考えれば、誰でも無条件に仕事に従事させるというわけにいかない事情は理解できる。現に、筆者は川崎重工の岐阜工場を見学したことがあるが、引き渡し前の P-3C に近寄っただけで制止されたし、ミサイル工場については非公開だった。これは、そういうものだろうなと思う。

また、自衛隊の施設の取材でも、場所によっては取材者の身元調査をやるそうだ。これも、まあ理解できる。

といっても、(最近はマシになってきたとはいえ) 防衛庁は秘密主義の度が過ぎるという感じは払拭できない。有名な例では、アメリカでは公開している戦闘機の操縦席の写真が、日本の同型機では非公開とされていたケースがある。また、護衛艦の CIC についても似たようなものだ。どちらも、最近は実物や写真の公開が進んできたが…


ところが、その防衛庁が、よりによってオウム真理教の関連会社にソフトウェアの開発を発注していたというのだからあきれ返る。

確かに、ソフトウェアの開発というのは下請け・孫請けが当たり前の世界だ。普通のソフトウェア メーカーでも、正社員と派遣社員、さらには臨時の助っ人まで入り乱れて仕事をしているが、傍目には、誰が社員だかわからない。みんな社員のようにも見える。現に、社員以外の助っ人要員にも、自社の社名の入った名刺を渡すということが日常的に行われている業界だ。

そういう体質の業界が相手とはいえ、国家の防衛にかかわるソフトウェアの開発である。それなのに、全関係者の身元調査をやっていないといたら信じがたい。ミサイルや戦闘機のメーカーの社員の身元は半年以上かけて調べ上げるというのに、出入りのソフトウェア業界の身元調査の方は野放しなのだろうか。

だいたい、ミサイルや砲弾を撃つ戦争だけでなく、コンピュータと通信回線を舞台にするサイバー戦争やサイバーテロも、いまやひとつの立派な戦争の手段といえる。現に、防衛庁でもサイバー戦対策を立案しているというニュースが報じられたばかりだ。それなのに、自分のところのソフトウェアの開発にテロ組織の関係者が入り込んでいたとあっては、お笑いでは済まされない。

もっとも、直接契約を締結する会社については、スタッフの身元調査をするのかもしれない。しかし、だからといって、下請け・孫請けについては何もしなくていいというものではなかろう。ソフトウェアができ上がってしまえば、誰が書いたソース コードか、なんていうのは分からなくなってしまうのだから。

本来なら、契約相手の会社に対して、「外部の業者に対して業務の全体、あるいは一部を委託する場合は、事前に委託先の会社と、その会社のスタッフに関する一件書類を提出させて、防衛庁側の承認を得ること」という一文を出しておいてもいいのではないか。


今回の件では、単にオウムに資金が流れたという点だけでなく、製作されたソフトウェアそのものの信頼性、製作過程における情報の漏出、さらに、いわゆる「トロイの木馬」についても調査が必要ではないかと思われる。なにしろ、ソース コードの中に、取り扱った情報を自動的に別の場所に送信するようなコードがもぐりこまされていないとは限らないのだ。国防上の機密情報がオウムの手に渡っていたとしたら、とんでもない重大事である。

防衛庁では問題のソフトウェアの使用開始を取り止め、別のものと差し替えるそうだが、それに付随して発生する費用は国民の税金である。本来なら、オウムの関連会社を使ってしまった直接の受注業者に、補償金を出させてもいいくらいだ。

だいたい、分野によって、身元調査が厳重だったりいいかげんだったりという、ダブル スタンダードの状態になっていることに、根本的な問題がある。防衛庁は機密管理体制を徹底的に見直して、公開しても差し支えないものと、厳重な対策が必要なもののふるい分けをやり直す必要があるのではないか。その上で、厳重な対策が必要な部分については、多少のコスト上昇があってもかまわないから、身元調査でもなんでも、徹底的にやればよいのである。