井上孝司の Defense Column
 〜 "自慢史観" の病理

お断りしておくが、タイトルはミスタイプではない。

ここ数年、「自虐史観」に対する批判が賑やかになっている。そこへきて、今度は森首相が「日本は神の国」と発言したそうだ。この種の発言に共通しているのは、「日本は神聖な国であって、間違いなど犯すはずがない」という固定観念ではないかと思う。

しかし、過去の歴史において、何の間違いも犯していない国があるのだろうか。

以前からある、一連の「南京大虐殺批判」にしても、肯定派と否定派の間で「いわれている被害者の人数は多すぎる」「いや、それは少なすぎる」という議論が続いている。しかし、人数が少なければオーケーだという問題ではなかろう。被害者が 5 万人なら駄目で、5 千人ならオーケーとかいう問題ではない。


確かに、自国の歴史をことごとく悪し様にいう必要はないだろうが、ことごとく肯定するのも、同じくらい無理があるというものだ。

たとえば、「太平洋戦争はアジア諸国を植民地支配から解放するためにやった戦争だから悪くない」という議論がある。
しかし、日本が東南アジアの資源地帯を制圧することで苦境を脱しようとして戦争を始めたのは事実だから、政治体制をどうするかという話は別として、東南アジアから資源をもぎ取るための戦争という点は否定できない。結果的に植民地支配からの解放が成し遂げられたのだとしても、それは後知恵というもので、最初からその目的で開戦したのかという点については疑問がある。

しかし、その目的とは裏腹に、通商破壊戦に対する認識の不足のため、米海軍の潜水艦によって資源の輸送路を途絶されてしまったのだから、お話にならない。

また、戦時中の日本の残虐行為を批判する向きに対しては「○○国も同じようなことをやっているから日本は悪くない」という反論が出てくることが多いが、それは反論の仕方が間違っている。「○○国も同じようなことをやっているのだから、日本だけが悪いとはいえない」というのなら、まだ納得がいくのだが、「日本は悪くない」というのは暴論だ。


太平洋戦争自体の戦いぶりにしても、当事者には申し訳ないが、それほど誉められたものではない。漫画家の小林某氏は「あの戦いを誇りに思う」とか何とか発言しているらしいが、まったく不同意である。主な理由を以下に挙げよう。

ちょっと考えただけでも、これだけ出てくるのだ。細かく考え始めたら、こんなものではきかないだろう。

ただし念を押しておくが、上からの命令に従って戦うしかなかった現場の兵士にこれらの責任を全部押し付けるのは酷な話だ。もっとも責めを負うべきは、国家ならびに陸海軍の指導部であろう。現場の兵士がどう頑張っても、上層部が犯した根本的な過ちをリカバリーするというのはできない相談なのだ。
また、日本が優れていた点がいろいろあったことも認めるが、こと太平洋戦争についていえば、どちらかというとアラが目立つのは否定できない。

個々の事象について細かく論じ始めるとスペースが足りないので、今回はタイトルのみにとどめるが、別途、機会があれば個別に論じてみようと思う。


こういう、耳当たりのよくない話には目をつぶり、都合のいい話だけを強調して「日本の歴史に過ちなし」とか「神国日本に敗北なし」などと教育するのは、国の行方を誤る原因にこそなれ、国の行方をよい方向に持っていくことなどあり得ない。世界の歴史を見ても、そういう教育をしてきた国家体制というのは、遅かれ早かれ崩壊している。(だから、イラクや北朝鮮も、いずれは体制崩壊するだろう)

だいたい、自分の国の都合のいい話だけを聞かせるようにしないと「日本人としての誇り」を失ってしまうほど、日本人の精神基盤というのは脆弱なものなのだろうか?
そもそも、「日本人としての誇り」を云々するなら、まず、そこら辺で「ら抜き言葉」を筆頭とする乱れまくった日本語をしゃべっている連中を捕まえて、まともな日本語を話すように矯正するところから始めた方がいいのではないかと思う。

TV や新聞が「日の丸製品が世界を制す」とか「日の丸技術が世界の標準に」といったたぐいの話が大好きなのも、こうした "自慢史観の病理" あるいは "日本至上主義" と軌を一にした体質ではないかと思う。
「日の丸製品だから世界を制すべきだ」などと考えているとしたら、それは思い上がりもはなはだしく、「大東亜共栄圏」と同じ発想だ。

優れた製品、あるいはユーザーのニーズに的確に応じた製品が世界を制し、それがたまたま日本製だったというのなら分かるが、「日の丸だから」なんていうのは理由になっていない。(もっとも、自分の思い入れだけで「うちの製品は技術的に優れているのに売れない」などと泣き言をいうのも困り者だが)

おっと、話が脱線した。
そもそも、歴史を見るに際して本来あるべき姿は、過去の成功と失敗の両方を直視した上で、失敗を繰り返さないようにすることではないのだろうか。
ところが、どうも日本では両極端に走る向きが多いので、全面否定か全面肯定のどちらかになってしまう。歴史を論じるのに "all or nothing" はあり得ないと思うのだが…

そこのところが分かっておらぬ政治家が多いから、彼らは何かにつけて過去の日本の過ちを糊塗・隠蔽する発言を繰り返してしまう。そうした発言が、中国政府あたりに対して日本を恫喝する材料を与え、結果的に国益を損なっているということを理解してもらいたいものである。極端な話、政治家の失言をダシにして「今回のことは許すから、代わりに尖閣諸島を寄越せ」などといわれたら、どうするのだろう?

かと思えば、その対極には、日本の歴史を全面否定することで政争の具を作り出している輩もいる。私にいわせれば、どっちもどっちだ。