井上孝司の Defense Column
 〜 「神の国」発言に思うこと

森総理は、「神の国」発言を引っ込めるつもりはないらしい。何を信じようと本人の御自由だが、それを公共の場で、しかも総理大臣という立場の人物が発言するとなると、まったく別の問題である。
だいたい、あんな発言をしたらどんな騒ぎになるかということが分からないのだろうか。森総理は、その程度のおつむの持ち主なのだろうか?

ところで、先週は太平洋戦争における日本側の手落ちをいくつか指摘したが、さらにひとつ付け加えると、「大和魂至上主義に代表される、精神力に対する偏ったこだわりと根拠のない思い込み」があると思う。今週は、それについて考えてみよう。


今でも、学校の運動部などでは、往々にして「努力・根性第一主義」が幅を利かせていたりする。強靭な精神力が必要なのは認めるが、精神力だけで勝てるというものでもなかろうに。

これが学校の運動部なら、方針を誤っても試合に負ける程度の被害ですむが、ことが国家の運営にかかわるとなると、笑い事ではすまされなくなる。戦争においては、なおさらだ。

たとえば、ノモンハン事件のことを考えてみればよい。ソ聯軍が大砲・ロケット砲愛好家で、おまけに大量の戦車を持っているのは平時から分かっていたはずで、それを迎え撃つのに肉弾と火炎瓶と対戦車銃しかないのでは、勝敗は最初から分かりきっている。
努力や根性や大和魂だけで戦車が壊せるものか。今ならまた事情が違うが、当時では、戦車に勝つには戦車しかないのだ。

ガダルカナルにしても同じことだ。相手の米海兵隊が火砲と機関銃を用意して待ち構えているところに、いくら夜間とはいえ、銃剣と刀を振りかざして突撃しても…

海軍だって、他人のことはいえない。練成不十分で機材の性能にも劣る艦上機部隊に身の程知らずの長距離攻撃をさせた挙句、こてんぱんに叩きのめされたマリアナ沖海戦の作戦ミスは、どうにも言い逃れできないと思う。

いずれのケースにしても、絶望的な状況の中で強力な相手に立ち向かった現場の兵士の勇気は賞賛に値するが、責められるべきは兵士をそういう悲劇的な状況に追い込んだ陸海軍の指導者のはずだ。
なのに、責任を取るべき人は、ほとんど責任を取っていない。この国では何かというと「責任者出てこい」というにもかかわらず、このザマだ。

本来なら、敵に勝る優れた装備と、十分な燃料・武器・弾薬・食料・医薬品の供給、正確な情報、さらに奇をてらわない確実な作戦が準備されるのが常道だと思うのだが、太平洋戦争ではこの基本的な条件が満たされていないのだから、ボロ負けするのもむべなるかなだ。


国家指揮権限者が戦うと決めるからには、ちゃんと勝てる成算がなければならない。勝てる成算がないのに戦おうとしてはいけないし、その成算にしても、理論的な根拠に基づいてのものでなければならない。精神力や根性だけでは戦争に勝てない。

森首相のように「日本は神の国」と思い込むのは個人の勝手だが、国家指揮権限者が「日本は神の国だから負けない」などという理論的根拠のない信念に基づいて戦争を起こしてくれたのでは、たまったものではない。(厚木航空隊の反乱事件を見よ)

日本の場合は総理の問題発言程度で済んでいるが、残念なことに、国によっては国家指揮権限者が本気で「うちの国は負けない」と信じ込んでいるケースが少なくない。湾岸戦争で壊滅したイラク軍にしても、フセイン大統領のプロパガンダでは「無敵イラク軍」とかいうことになっていただろう。そういう、思い込みだけは最強の国が、もっともタチが悪いのだ。

我々は客観的に物事を見られるから、たとえば「北朝鮮と韓国の戦力を比較すれば、韓国の方が圧倒的に上回っているのは明白。だから、北朝鮮が戦争を起こすハズはない」という主張をする人がいるわけだが、かの国の国家指揮権限者や国民が同じことを考えているかどうかということになると、非常に怪しいと思う。なにしろ、国を挙げて「神の国」発言に近い状態なのだ。

自分の国が、この手の「根拠のない思い込み」状態に陥るのも危険だが、他国のことを判断するときに、その国がこの種の価値観に溺れていないかどうかを考えるのは、決して無駄なことではないと思う。
客観的に見て勝ち目のない戦争でも、個人的な思い込みや精神力第一主義で「勝てる」と思い込んで戦争をやってしまい、自分の政策の失敗や装備・物資の不足をカネのかからないスローガンや掛け声で糊塗しようとする愚かな国家指揮権限者は、決して少なくないのだから。