井上孝司の Defense Column
 〜 個々の兵器のみの優劣を論じることの愚

私もその端くれだが、「自動車好き」や「鉄道好き」と同様に、「兵器好き」という人種も存在する。きっかけはいろいろあるが、そのこと自体は特に非難する筋合いのものではない。

ただ、よくいるのは、個人的な思い入れの度が過ぎる人だ。特に、第二次世界大戦中の日本とドイツの兵器の愛好家には、その傾向が強いと思う。


数年前、NIFTY-Serve の某フォーラムで、「零戦と F4F の優劣論争」というのが起きたことがある。そのときの「零戦派」の発言は、概略、以下のような趣旨のものであった。

この論旨でおわかりのとおり、これはもはや「優劣論争」という類のものではなくて、「零戦が強い」という結論を引き出すための出来レースである。戦争をするのに「互角の条件」も「フェアプレーの精神」も必要ないのだ。どんな手段をとろうが、勝てば官軍である。

個人的に零戦だろうが何だろうが、思い入れを持つのは自由だ。
だが、思い入れの度が過ぎて、ひいきの兵器に都合のいい条件を設定した上で「○○は優秀だ」と主張しても、何も得るものはないと思う。それなら、相手の機体についても同じ要領で都合のいい条件を設定すれば、逆の理屈だって成り立つ道理だ。

先日も、ちょっとした原稿を書く仕事があって、そこで「一式陸攻は被弾に弱くて、兵器としては駄目だ」と書いたら、「対策した機体はあって、ちゃんと効果が上がっている」と版元の担当者に反論された。だが、それが一式陸攻 34 型 (G4M3) のことだとすれば、詭弁である。
この型では一応の防弾装備が施されたのは知っているが、なにしろ、34 型は一式陸攻の総生産数のうち、たった 60 機、比率にして 2.5% を占めるに過ぎない。

全体のうち、たった 2.5% の機体が燃えにくくなったところで、残りの 97.5% が「ワン・ショット・ライター」では、総合的に見て、「一式陸攻は被弾に弱い」と論じても間違いはないだろう。

あるいは、「紫電改は F6F よりも優秀なのに、F6F は数にモノをいわせて勝った」という主張も、同類といえる。「紫電改は F6F よりも優秀なのに」というのは、カタログ・スペックの話。実際に戦場で飛んでいた機体についてはどうだっただろうか。某映画のような言い方をするならば、「空中戦は図面の上で起きてるんじゃない、戦場で起きてるんだ!」ということなのである。

つまり、カタログ・スペックという「紙の上の性能」で戦争をするのではなく、戦場で実際に発揮される性能で戦争をするのだ。それなら、カタログ・スペックに優れた機体を作るだけでなく、カタログ通りの性能を実戦の場でも発揮させるための兵站支援体制が伴わなければいけない。
その点、紫電改にしても疾風にしても、精密敏感すぎる「誉」エンジンをちゃんと整備できなかった多くの「現場」の実体を考えると、「トータルシステム」としては失格と断じても差し支えなかろう。極端な話、「誉」をちゃんと動かすことができたのは、陸軍の 47 戦隊ぐらいではないか。

最近だと「航空自衛隊の F-15 と米海軍の F/A-18 で空戦訓練をやると、F/A-18 は高性能の AMRAAM を使ってくるので F/A-18 が勝ってしまう。飛行機の性能としては F-15 の方が優秀なのに、搭載するミサイルの性能で勝敗が決まるなんて納得できない」という主張がある。

だが、敵の戦闘機を撃ち落として航空優勢を確保するのは、機体のカタログ・スペックではなく、機体に積まれているミサイルの仕事なのだ。


こういったことを主張すると、先ほどの零戦論争のように、「個々の兵器の性能と関係ないところで勝敗を決めるようなことをいうのはいかがなものかと思う」と反論されることがある。

しかし、兵器マニアがついつい忘れがちなことだが、兵器とは戦争で勝つための道具である。そして、戦争の結果を決めるのは、個々の兵器の能力ではなく、それを取り巻くシステム全体の能力なのである。単独で優れた性能を持つ兵器があっても、その能力を発揮させるシステムがなければ戦争には勝てない。(湾岸戦争におけるイラク軍がいい例である)

そもそも、どんな兵器にも、長所もあれば短所もある。そして、いかにして長所を発揮させるかというのは、兵器を稼動させる「システム」の問題である。実際、戦史をひもといて見ると、個々の兵器の優劣というよりも、それを取り巻くシステムの優劣の結果として勝敗が決まるケースが多い。

レーシング・チームのマネージャー経験者が「レースに勝つかどうかは、チームの体制で決まる」と話していたことがある。戦争もそれと同じなのだ。個々の兵器の性能だけでなく、それを支える国家全体のシステムで評価しなければ、本当の実力は見えてこない。

個々の兵器のスペック表を並べて「あれが凄い、いやこっちだ」と論じるのは、道楽としては面白い。だが、それをそのまま戦史や軍事力の評価に持ち込むと、視点を誤ることにならないだろうか。
マニア的視点でモノを見るのは御自由だが、それが通用するシチュエーションと通用しないシチュエーションがあるという点を弁えておくべきではないかと思う。