井上孝司の Defense Column
 〜 日本陸海軍の "無駄遣い"

毎年、この季節になるとテレビが「終戦記念日特集ドラマ」を制作したりして、ムードを煽ってくれる。まあ、それは製作する方の自由だが、「戦争体験≒戦災体験」だったり、「自慢史観」と「自虐史観」の両極端に分かれて不毛な論争を延々とやっていたりと、どうも首を傾げざるを得ないことも多い。

それはそうとして、太平洋戦争でこてんぱんにぶちのめされてしまった言い訳として、「技術では勝っていたのに物量で負けたんだ」というものがあるが、今回は、これについて考えてみたい。


そもそも、日本のほうがアメリカと比べて工業生産力でも、生産技術の水準でも劣っていたのは間違いのない事実である。それを承知の上で戦争をしたのが根本的な間違いなのだ。

先週の拙稿とも重複するが、製図板の上で優れた性能の兵器ができても、あるいは製図板の上で巧妙なメカニズムの兵器ができても、生産現場がそれを正しく作り、運用現場がその性能を正しく発揮できなければ、それは画餅でしかない。それができなかったのだから、図面の上のことだけ取り上げて「技術では勝っていた」などといっても、それは単なる負け惜しみである。

しかも、その乏しい物量や人的リソースを、さらに無駄遣いしていたという点を指摘したいのである。たとえば、以下のような事例が挙げられるだろう。

と、ちょっと考えただけでもこの調子だ。

特に、偵察機の件については、あきれる他ない。偵察機の傑作といわれる「彩雲」は、スマートでスピードも出て、「飛行機」としては個人的に気に入っているが、あれが「兵器」として必要だったかというと、首を傾げざるを得ない。

わざわざ、多量生産が見込めない「偵察専用機」の開発のために資源と技術陣と時間を冗費するぐらいなら、同程度のスピードが出る戦闘機にカメラを搭載して写真偵察機に仕立てれば済むことである。現に、米軍ではそうやっている。

しかも、その「偵察専用機」として開発された「彩雲」や 100 式司偵を、後から夜間戦闘機に改修させた不手際に至っては、言語道断である。
偵察機と戦闘機では要求される機体強度が違うだろうから、それを手直しするだけでも大変だし、しかも武装を積むスペースを確保しなければならないのだ。そんなことなら、最初から高性能の戦闘機を開発して、それを偵察機に転用するほうが理にかなっている。

にもかかわらず、それとは別に「天雷」のような夜間戦闘機の開発計画まであったのだから、無駄の上積みもいいところだ。

しかも、ゆがんだ「紙の上のスペック至上主義」のおかげで、日本製の兵器の多くが必要以上に複雑巧緻なメカニズムを持ち、それが結果として生産や整備の手間を増やし、稼働率を下げる結果になったのは否めない。

さらにいえば、軍とメーカーの力関係が妙で、メーカーが「他社の飛行機を造るよりも自前で開発したい」という欲求を必要以上に押し通したという事情も、機種が必要以上に増えてしまった背景としてあるのではないか。「烈風」がいい例だ。

アメリカの場合、あるメーカーが優秀な機体を開発したと見るや、他のメーカーにもそれをライセンス生産させている事例が少なくない。たとえば、マーチン社は自社の B-26 の生産そっちのけで、ボーイング B-29 のライセンス生産をやっている。

数少ない例外が P-51 ムスタングだが、これは結果がうまくいったのだから、まだ許せる。日本の場合、「おれがおれが」で各メーカーが新型機を開発して、それでうまくいった例がどれだけあっただろうか?

こうしたマネージメントの部分における日米格差は、ひょっとすると、工業力や資源の格差以上のものがあったのではないか。マネージメントの巧拙は定量的に測るのが難しいから、具体的な数字を出せといわれると困るが。


こういった事象を無視して「物量で負けた」と言い訳をするのは、ただの泣き言に過ぎない。このような欠陥だらけのマネージメントをやっていたのでは、アメリカと同水準の物量があったとしても、おそらく勝ち目はなかっただろう。

また、スペックにこだわりすぎて、現場の実情に合わない装備を作ってしまった当局やメーカーの責任というものもある。私がたびたび槍玉に挙げている「誉」エンジンがいい例だ。

戦争に至った政治的な背景を反省することも必要だし、戦災の悲惨さを認識するのも結構だ。だが、今回指摘したような、敗北を加速させた日本側のシステム的欠陥にも目を向けてみることが必要ではないだろうか。
それは往々にして、関係者個人に対する非難につながるので、「情」の部分で「○○氏の悪口は言いたくない」というような感情論が幅を利かせがちだが、それを乗り越えなければ真の反省は得られないだろう。