井上孝司の Defense Column
 〜 「情報化」とは、こういうものだと思う

いまや、ニュースで「IT (Information Technology)」という言葉を聞かない日はない。猫も杓子もこの言葉を口にして、IT を使わなければ時代遅れといわんばかりの大騒ぎだ。
かと思えば、某ニュース番組の司会者のように、何か事件が起こるたびにハイテクを目の敵にする向きもある。まあ、それは個人の思想の問題だから、口になさるのは自由である。


ところで。総理大臣までが尻馬に乗って「IT 革命」という言葉を口にする御時世だが、みんな勘違いしてないか、と思うことがなくもない。

情報というのは、あくまで政治や企業活動の指針を決めるための参考として利用するためのものである。情報を集めること自体は重要だけれども、それはあくまで手段であって、目的ではない。

「インターネットを使えば、自宅にいながらにして世界中の情報が手に入る」とマスコミは喧伝する。なるほど、それは確かにそのとおりだが、入手した情報が真実なのかどうかは誰も教えてくれないし、集めた情報をどう活用するか、という点に言及した話はあまり聞かない。
むしろ、「情報の海」に溺れてしまい、流れ込んでくる大量の「データ」を前にして途方に暮れている人が多いというのが、「IT 革命」の現実ではないのだろうか。

本当は、集めた膨大な「データ」の中から、本当に自分が必要とするものをより分けて整理し、それを分析して、行動指針の参考となるべき「情報」にまとめ上げるところまでいかないと、真の意味での「情報の有効利用」あるいは「情報化」とはいえない。

そして重要なのは、「本当に必要な情報が、データを処理・分析する過程で抜け落ちず、意思決定に有効利用されるようなプロセスを組み上げる」という点なのではなかろうか。


とはいえ、基礎になる「データ」を集めないと話は始まらないのも事実であろう。たまたま最近になってロシアがらみのスパイ事件が発覚したが、それを聞いて「日本とロシアは敵対関係ではないのに、どうして情報を取らなければならないのか」あるいは「冷戦が終結したのにスパイ事件だなんて」などと寝ぼけたことを書いている人が、新聞記事などを見ると相変わらずいるらしい。

友好国だろうが何だろうが、情報を取るときには取るのだ。だいたい、友好国がある日突然、"敵対国" に変貌しないとも限らないし、友好国といえども、その国が何を考えていて、どういう行動を取ろうとしているのかを知るには情報集めが必要になる。そして、それを最善の手段で分析して、自国の行動を決めるための資料にするものだ。

ときどき、「友好とは、相手の国を無条件に信じることで実現するものだ」という人がいるらしいが、とんでもない話だ。たとえ友好国が相手でも、自国の手の内を完全にさらすなんて保証はないのだから、ちゃんと情報を取る努力はする必要があるのではないか?
現に、多くの人が、日常生活において、「信じていた人」に裏切られたり、煮え湯を飲まされたりしているではないか。国際社会が相手でも、同じことだと思う。

ひょっとして、こういう甘っちょろい考えで外交をやっていて、日本の外交当局は自国の手の内を丸見え状態にした挙句、相手国に足元を見られていたりしないかと心配になってしまう。ワシントン会議のときのように。

だいたい、友好国がいつ敵対国になるか分からないし、敵対国にしても、いつ花火が上がるか分からない。「いざ」となってから、あわててデータ集めに取り掛かっても遅いのだ。平時から、コツコツとデータを収集して、それを適切に分析して、「情報」の形にしておかなければ、いざというときの役には立たない。


農耕社会の場合、生活が成り立つかどうかは天候任せという部分が結構あるので、狩猟社会のように、情報集めや新兵器の開発を日常的にやっておかないと生命に関わる、ということが少ないのが、こうした "日本的体質" の背景にあるのかもしれない。また、国土が直接外敵に蹂躙された経験がほとんどないのも、こうした傾向に輪をかけているのではないかと思う。

とはいうものの、現実の国際社会は魑魅魍魎がうごめく魔窟のようなものだから、そんな島国体質丸出しの状態で、情報収集やその分析に関する認識が甘っちょろい状態のまま外交方針を立てていたのでは、大きく国益を損なうと思う。

現に、最近の日本の外交でも、北朝鮮の「恫喝外交」やロシアの「経済支援引き出し外交」に、いいように翻弄されているではないか。こういっては何だが、自民党内部でやっている派閥抗争なんて、国際社会の魑魅魍魎相手の駆け引きと比べれば、所詮は「屁」みたいなものだと思う。

我国の為政者にはもう少し、「相手のことを平素からちゃんと調べておく」「集めたデータはきちんと分析する」「自分の手のうちを迂闊にさらさない」ということを考えてみてもらいたいものである。