井上孝司の Defense Column
 〜 21 世紀に残したくないもの

…などというタイトルをつけると、まるで某社の液晶テレビの CM のようだ。

しかし、当コラムで液晶テレビが話題になるわけがない。問題にしたいのは、日米の国家指導者の話なのである。

アメリカでは、依然として大統領選挙の決着がついていない。私はどちらかというと "Republican" だから、というのもあるが、あきらめの悪いゴア候補には、そろそろ手を引いてもらえないか、と思っているのが本音だ。

だいたい、いくらアメリカが訴訟社会だからといっても、現在の大統領選をめぐる訴訟合戦は「泥仕合」でしかなく、ゴア陣営はこの調子だと、とにかく自分に都合のいい結果が出るまでは手を引きそうにないという印象だ。この調子でいくと、アメリカには意外と長い期間、政治の空白ができてしまう危険性がある。

もともと、どんな国でも政権の交代期には政治の空白ができやすいし、アメリカの場合は政権が変わると政府の役人もゴソッと入れ替わるから、さらに話が面倒になってしまう。もっとも、個人的にはこういうシステムの方が好きだが。


では、他国のことをどうこういう前に、日本はどうか。
森総理は、「政治の空白を作りたくないから」とか何とか言い訳して、自分が宰相の座にあることを正当化しているが、どういい繕っても、「総裁選の洗礼を受けていない内閣総理大臣である」という事実だけは、どうにも隠蔽不可能である。

それが、単に「自民党総裁」の話だったらまだしも、現在の状況では、自民党の総裁とはすなわち内閣総理大臣であって、日本のリーダー、自衛隊の最高指揮官なのである。

こういってしまってはなんだが、森総理をリーダーと仰いで、そんな日本の体制を護るために命を投げ出せる、という人が、果たして何人いることやら。あんな愚鈍な指導者のために我が身を捧げたいという物好きは、それほどいないだろう。

そういうレベルの政治家しか出てこないのは、それに見合ったレベルの有権者しかいないからだ、というのは正論なのだが、だからといって、「日本と、その愚鈍な指導者とともに心中したいですか?」と問えば、誰も「はい」とは答えるまい。

私が心配しているのは、こういう、既成の体制の政治が腐りきった状態のときが、民主主義にとって、もっとも危険ではないのか、ということなのだ。1920 年代のワイマール共和国を引き合いに出すまでもなく、政府の腐敗に対して絶望した国民にもっとも受け容れられやすいのは、「強いリーダー」を装った独裁者ではないか。

現に、ヒトラーも、ナチも、最近ではミロシェビッチも、最初は選挙を通じて存在を大きくしたことに留意していただきたい。政権についた途端に、自分に都合がいいように体制を作り変えてしまったから、結果として「独裁者」あるいは「独裁者モドキ」になったので、最初から「独裁者」の顔をして出てきたわけではない点に注意する必要がある。

…なんていうと、すぐに「石原慎太郎」の名前を出す人がいそうだ。もっとも、あの人は現時点で、ヒトラーの「全権委任法」みたいな真似はしていないし、個人的には、都知事をやっている分には、それほど問題はないのではないかと思っている。

石原都知事は、思想的には私とは相容れないものがあるのだが、それと、現実に都知事としてどれだけ実のある仕事をしているかという評価は、まったく別の問題である。「思想的に気に入らないから、仕事ぶりも評価しない」というのは、単なる八つ当たりである。


以前にもどこかで書いたような気がするのだが、「文民統制」というのは、指導に当たる文民がまともであってこそ、初めてちゃんと機能する制度だと思う。文民が腐ってしまい、そこに「それなら自分たちがやってやる」といって政治に軍人が介入して独裁体制を作ってしまった例は、枚挙にいとまがない。
そして、独裁体制に支配された国家が、ロクなことになった試しはないのである。

それと同じことが起きないか、あるいは民間から、ヒトラーのような独裁者の資質に満ちた人間が飛び出してこないか、というのが、実は私の最大の懸念である。そうなる前に、今のようなイカレきった政権と行政機構は、21 世紀に入る前に人心一新するべきではなかろうか。もちろん、法律で定められた正規の手順によって、であるが。

そもそも、国家指導者も議員も役人も、ひとつの椅子に同じ人物が長いこと座り続けて権力を独り占めしたら、ロクなことは起こらない。政治家は「多選禁止」、役人も「任期制」を取り入れて、強制的に一定の間隔で面子を入れ替えるようにした方が、国の活力につながるのではないかと思うのだが、どんなものだろうか。民間では、まだしもそういうメカニズムが機能していることが多いと思うのだが。

あと、できることなら「世襲禁止」というのも付けたいところだ。だいたい、企業の例を見る限り、親が子供を自分の会社に入れて、うまくいったケースがどれだけあるか。政治家の世襲は、本人よりも周囲の「後援会」あたりの事情だと思うが、ときどき「父が、父が」を連呼する世襲議員がいるのを見ると、情けなくなる。

そして、人材が入れ替わる中で切磋琢磨して本物の強さを身につけた国家こそが、世界政治のカオスの中で生き残れるのではないかと思うのだ。日本国内の選挙戦や派閥抗争、組織の内部抗争にだけ強い人がいても、国際社会に放り出したら生きていけるはずがない。それは所詮、「コップの中の争い」で勝ったというだけだから。

「一人の人が長いこと勤める方が、終始一貫した政策ができるからいい」という主張もあろうが、当世のような、変化が激しく、正解がなかなか見えにくい時代には、むしろ変化を乗りこなす力とスピードの方が重要だと思う。
「終始一貫した政策」などというのは、自分の地位を守りたい奴の言い訳だ。だいたい、日本の政治や行政がそれほど終始一貫などしていないのは、すでに証明済みである。そんな腐った考え方は、20 世紀に置いて行こう。