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井上孝司の Defense Column
〜 リメンバー・パールハーバー「真珠湾を忘れるな」というと、一般的には、アメリカ国内で「日本のだまし討ち」を非難し、半日ムードを煽るためのキャッチフレーズである。毎年、12 月 7 日 (現地時間) には追悼式典をやっているし、50 周年のような「節目の年」には、ひときわ盛大にやっている。そのニュースが流れるたびに、日本では非難がましい口調になる人がよくいるが、日本側とて、「東京大空襲」などを槍玉に挙げているのだからどっちもどっちだ。お互いに、自分が被害者になった話ばかりを強調して、加害者になった話は触れたがらないのだから、どちらをとっても、それほど誉められた話ではない。
この真珠湾攻撃についていえば、日本側ではどちらかというと「大成功」として受け取られがちだ。だが、果たしてそうだろうかと思う。
だいたい、当初の予定では、開戦通告の後で空襲するはずだったのだ。それがどうして「だまし討ち」になってしまったかといえば、ワシントンの日本大使館の職員が暗号機をとっとと破壊してしまい、開戦通告の暗号文の復号化作業に手間取ったことが大きい。
いってみれば、世界に冠たる優秀な日本のお役人が、自らの手で、自分の祖国を窮地に陥れてしまったのだ。外務省の誰かがこの件に関する責任を取ったという話は聞かないのだが、実際はどうだったのやら。
しゃれになっていないことに、日本の外務省関係者が使用していた「九七式欧文印字機」という機械式暗号機による暗号文は、アメリカにも解読されていた。フォート・ミードの NSA 本部に隣接する、例の「National Cryptologic Museum」に行くと、九七式欧文印字機と、それを解読するためにアメリカ側が作成した模造暗号機「パープル」が、並んで展示されている。
九七式欧文印字機
パープルつまり、日本が予定通りに開戦通告を手交したとしても、実はアメリカ側は、その手の内を、全部事前に知っていた、ということになる。これは、すでによく知られている話だ。
おまけに、開戦にいたるまでの経過を見てみると、日本が戦争をせざるを得ない方向に、少しずつアメリカによって追い込まれている様子がわかる。とにかく相手を追い詰めて先に手を出させておいて、そこから一挙に反撃するというあたり、ルーズベルトの方が東條よりも役者が何枚も上だったのは間違いないだろう。
では、どうして太平洋艦隊司令部が蚊帳の外に置かれたのかというと、これは永遠の謎だ。純然たる不手際なのか、意図的なものなのか。意図的なものだとしたら、果たして 2,400 人もの犠牲者を出すのを承知していたのか。そんなに犠牲者が出るわけがないとタカをくくっていたのか、太平洋艦隊司令長官のキンメルは、事情を知っていたのに手を打たなかったのか。
ただ、事情はどうあれ結果的には、アメリカ国内の厭戦ムードを吹き飛ばしたこと、太平洋艦隊の古い戦艦群を壊滅させて、空母機動部隊と潜水艦中心の運用になるように仕向けてしまったこと、フネは破壊したくせに真珠湾の基地設備が手付かずだったこと、太平洋艦隊司令部の人員を一新し、ニミッツを頭に持ってきてしまったこと、といった事情から、日本側は真珠湾攻撃によって、自分で自分の首を絞めてしまったのではないかと思う。結果論かもしれないが。
そのことを考えると、戦術的にはともかく、戦略的には真珠湾攻撃が成功だったといえるのかどうか、まことに疑問だ。
いってみれば、真珠湾攻撃には、当時の日本海軍のドクトリンや、長所・短所といったものが、すべて凝縮されているように思う。確認の意味も含めて、リストアップしてみよう。
- 狙った目標は正確に破壊した。民間施設への付随的被害も少なかった。つまり、技量は優れていたといえる
- だが、戦艦ばかりを狙い、基地施設などを無視したのは、「艦隊決戦至上主義」にも通じるドクトリンの欠陥の露呈である
- フネを沈めることと戦争に勝つことが違うという点を理解していなかった。日露戦争の悪しき遺産だ
- 通信保全の問題から、手の内を読まれて相手に得点を与えてしまった。その後の戦いぶりについても然り
- 一撃しただけで引き揚げてしまった。太平洋戦争全体に通じる、日本海軍の「攻撃の不徹底」が、すでにここで出ている。「敵の反撃を恐れて」なんていうのは理由にならない。戦争をやっているのだから反撃されるのはあたりまえで、反撃されることを前提に作戦を立てるのが本筋ではないのか
こういった、太平洋戦争全体に通じる「反省点」の出発点として、日本側としても、真珠湾を忘れてはいけないと思うのだ。
私事だが、私は 9 年ほど前に真珠湾を訪れたことがある。日本人観光客はほとんどおらず、アジア系の顔を見かけても、台湾や韓国あたりのことが多かった。そのときには、「買い物以外にもするべきことがあるだろうに」と、一人で憤慨していたものだ。
アリゾナ・メモリアルを訪れると、戦艦 <アリゾナ> の残骸の上に建設されたメモリアルの突き当たりの壁に、真珠湾攻撃における戦死者全員の名前が刻まれている。それを見たときには、能天気な私もさすがに厳粛な気分になったものだ。
やってしまった戦争を元に戻すことはできない。そのことをネタにして相手国に噛み付いても、何も得るものはないハズだ。
後に残された日米双方の国民にできることは、過去の歴史に謙虚に学び、失敗は失敗、欠点は欠点として、冷静に受け止めることではないのだろうか。それが、日米双方のすべての犠牲者にいくらかでも報いる、唯一の道ではないかと思う。![]()