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井上孝司の Defense Column
〜 地域紛争はなぜ起こる早いもので、ソ聯が消滅して「冷戦構造の崩壊」がいわれてから、もう 10 年が経過しようとしている。10 年前には、「これで戦争の危険はなくなった」という論調が幅を利かせており、ソ聯の崩壊で世界に愛と平和の千年王国がやってきたかのごとき騒ぎだったが、その後の実情については、いわずもがなというものだ。
かくのごとき現状を指して、たとえばユーゴ空爆や湾岸戦争を引き合いに出して、アメリカ、あるいは NATO を悪者に仕立てる論者が少なくないが、それは、冷戦期間中にソ聯を悪者にしたのと同じ発想で、実情に見合った議論とはいえないと思う。
「わかっている」人は 10 年前からいっていたことだが、冷戦構造の崩壊は、確かに第三次世界大戦や終末的な核戦争が起こる危険性からは、人類を遠ざける結果になった。
だが、それと同時に、世界の多くの国が米ソいずれかの陣営に組み込まれることによって封じ込められていた民族対立などを解き放つ、いわば「パンドラの壷を開けた」状態を生んだのも間違いない。
このギリシア神話に由来する逸話は、普通は「パンドラの匣」として知られているが、ここでは「壷」という説を取っている。
現に、世界各地でこの 10 年の間に発生した紛争の大半は、民族間・宗教間の対立や、国家間の経済的な利権争いに起因する土地の奪い合いが多い。
いわゆる「平和主義者」は、この点を意図的に (?) 無視している。彼らにとっては、NATO 対ワルシャワ条約機構の全面戦争だけが「戦争」で、それ以外の各種のコンフリクトは、ほとんど視野に入っていなかったのではないか。
しかも、これらの紛争行為がタチが悪いのは、それぞれの陣営が自分に都合のいい「歴史的事実」を掲げて一歩も引かず、挙句、教育を通じて国民、特に若年層を洗脳し、それを利用して節度のない殺し合いを仕出かすことだ。
少なくとも、NATO とワルシャワ条約機構の間には、もう少し節度のある状態があったのではないか。大国の正規軍同士の交戦なら、ある程度は「交戦規則」や「国際法」が遵守されるのではないかという希望が持てなくもないが、当世流行の地域紛争では、それはちょっと期待できない。
ウソだと思ったら、ルワンダやユーゴスラビア、チベット、カンボジア、アンゴラ、アフガニスタンなどで起きたことについて、僅かでもかまわないから資料を読んだり、情報を集めてみるとよいと思う。
過去にも書いたことだが、数千年の歴史の間には、どちらの陣営にとっても、都合のいい「歴史的事実」の一つや二つ、探せば必ず出てくるものだ。そんなものを根拠にして争ったのでは、金輪際、解決するわけがない。
まして、国民を思想統制して鉄拳統治を強いている独裁的指導者をいただく国家では、往々にして、その指導者が「神」のような存在としてあがめられる。そして、「偉大なる指導者様のいうことは皆正しく、その指導者様をいただく我等が国家も世界で最もすばらしい」というような滅茶苦茶な言い分が、国内限りとはいえ幅を利かせることになるのだ。
また、そうした指導者の多くは、国民の政権に対する不満を外にそらすために、外に「敵」をでっち上げることが多い。これが往々にして、独裁国家が戦争を引き起こす、ひとつの原因ではないかと思う。
こうした背景から引き起こされる紛争は、もともとの誘因が宗教でなくても、一種の宗教戦争のごとき様相を呈してしまう。そうなると、戦争行為に参加する人は自分の命を捨て去ることも一種の栄光だと思ってしまうし、その他の非戦闘員にしても、多少の労苦もいとわない、という状況になる。ある種の狂気は少なからず、人を養う力があるのではないかと思うのだ。
そもそも、地域紛争の根本は、「うちの民族は他の民族よりも優れている」という思い込みにあるのではないだろうか。「民族」を「宗教」あるいは「国家」に置き換えて考えてみてもよい。
森総理の「神の国」発言も、そもそもはリップ・サービスとはいえ、もともとあの人にそういう思想がなければ、ああいう発言には及ばないだろうから同根といえる。それを個人で勝手に思い込むのは御自由だし、それを止めることはできない。だが、その思い込みがエスカレートして、実際に力ずくで競合関係にある相手を排除しようとするから、戦争になるのだ。そうなったら、国連が介入しようが国際社会が何をしようが、そうそう簡単に解決するとは思えない。
…と、単純に話をまとめてしまったが、もちろん実際の地域紛争では、それぞれに異なった事情があるのは百も承知の上だ。ただ、根底にあるものは共通していると考えられるので、それを指摘してみた次第である。
となれば、「うちの方がえらい」という思い込みを、誰もが捨て去ることが、紛争解決の第一歩ということにならないだろうか。それだけですべてが解決するなんて思わないが、ひとつの歯止めにはなると思う。
特に苦しい境遇にある場合にそうなりがちだが、人間というのは悲しいことに、自分を他者と比較して優位に置くことで気持ちを落ち着かせようとする、一種の防衛反応を示すことがよくある。それが個人のレベルならさほどの被害は生まないが、民族や国家のレベルでそれをやると、あまりにも国際社会の迷惑だ。いま一度、個人や組織が抱く「優越感」というものについて考えてみることも必要ではないだろうか。
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