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井上孝司の Defense Column
〜東京都平和記念館をめぐる勘違い東京都では、1945 年 3 月 10 日の、いわゆる「東京大空襲」の惨禍を記録するために、平和記念館の建設を企画したが、展示内容に関する意見がまとまらずに、計画が宙に浮いているとのことだ。なんでも、「戦争の悲惨さ」を中心に据えようという一派と、「日本の戦争加害責任の展示を増やすべきだ」という一派が対立したのだという。しかし、本当に戦争の再発を防ぐための啓蒙活動が目的なのだとすれば、どちらの意見も間違っていると思う。いや、正確には突っ込みがまるで足りないのだ。
日本では、往々にして太平洋戦争の勃発原因が「軍部の暴走」とひとくくりにされていると思うが、実態はそんなに単純なものではない。確かに、軍人が政治の世界に手を出して余計な口出しをしたのは事実だが、政治家の側もロンドン軍縮会議のあとの統帥権干犯問題のように軍事問題を政争の具にし、それがまた軍内部の分裂を招いたりした。また、日独伊三国同盟締結は、軍だけでなく政治家や官僚も絡んだ政治的イベントであって、軍人が勝手に結んだというものでもない。
はっきりいってしまえば、明治維新以来の日本の国家運営方針が他国との対立によって破綻し、やけっぱちで戦争を始めてみそかの晩の金勘定をさせられたのが太平洋戦争であって、ある日突然起こった現象とは思えないのだ。
こうした背景を無視して、「悪いのは全部軍人です」「戦争は悲惨だからやってはいけません」と念仏のように唱えるだけで戦争が防止できるのだろうか? どのようにして日本が戦争に巻き込まれたかという歴史を直視し、同じ失敗を繰り返さないように学ぶことこそが、なによりの平和への足がかりになると思うが、違うのだろうか?
さらにいえば、緒戦は連戦連勝だった日本が、途中で守勢に回って負け始めたのには、ちゃんと理由がある。それが回り回っていきついたのが「東京大空襲」だ。
しかし、その背景と理由を正しく認識している人が、日本にどれだけいるのだろうか? 多くの日本人は、単にアメリカの物量に負けただけだと思っていないだろうか? 日本が負けたのには、それなりのちゃんとした理由がある。それを頭に入れた上で語っている「戦争経験者」が、どれだけいるのだろうか?
そもそも、クラウゼウィッツがいうように、戦争とは形を変えた政治の延長だ。つまり、他国に対して政治的意思を行使する手段の一つとして戦争があるのであって、単に戦争をしようと思って戦争が起こるのではない。その背景には、必ず政治的な意思が存在する。
だから、戦争という現象や軍事力の存在だけを忌み嫌っても平和は実現しない。戦争を引き起こす政治的な意思という芽を摘まなければならない。それはたとえば、人種的・宗教的・経済的対立であったり、他国に対する領土的野心であったりするわけだが。
というわけで、平和記念館構想は、コンセプトを根本的に練り直すべきではないかと思うのだ。単に「平和々々」と連呼して、戦争の香りのするものを目の前から排除するだけの「念仏平和主義」なら、ない方がマシである。
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