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井上孝司の Defense Column
〜 広義の国家安全保障について考えよう先週発生した、全日空機のハイジャック事件には震撼させられた。ハイジャックというだけでおおごとだが、犯人が警備体制の盲点を突いたことに加えて、預託手荷物に対する検査がないという点も重大問題だ。今回は、少々頭のイカれたウスラトンチキによる突発的な犯行であったが、これをテロ団体が計画的・組織的にやっていたら、どうなったであろうか? 預託手荷物は X 線検査を受けないから、その気になれば爆発物を忍び込ませることも可能だろう。
あいにくと、荷物だけ預けて持ち主が乗らないと、搭乗手続きした人数と回収した半券の数が不一致になるので飛行機が出発しない。だから、預託手荷物を預けた本人も問題の飛行機に乗らなければならないが、狂信的なテロ団体のメンバーなら、一人ぐらいの「特攻隊」を出すことに、組織も本人も、全然、気後れはしないだろう。
というわけで、空港の警備・保安体制の全面的な見直しを、緊急に対策してもらいたい。そうしないと、航空機を安心して利用できなくなってしまう。
それに、こんな馬鹿者のせいで命を落とした機長は、まったく気の毒としかいいようがない。犯人に対する対処が立派であっただけに、よけい惜しまれる。この場を借りて、亡くなった機長の冥福を深く祈りたい。
と、ここまでが前振りで、本題はここからだ。
今回の事件が、一歩間違うとテロにも利用されかねない危険をはらんでいるものであるという点について、今、指摘した。私がここで主張したいのは、こうした問題も「広義の安全保障問題」として捉えるべきだということだ。
通常、「安全保障問題」というと、「他国が日本の領土に軍事的武力侵攻行為を行う」という事象と、それに対する対策として捉えられることがほとんどだ。なるほど、それも安全保障の一ジャンルには違いないし、冷戦の時代にはそれでよかっただろう。
しかし、そもそもの「国家安全保障」とは、国民の生命・財産に対する危機を防止、あるいは発生してしまった危機に対処することではないかと思う。
それは、今回の事件のような国民に対する一種のテロ行為もそうだし、国外で発生した、日本に影響を及ぼす紛争なども含んでのことだ。たとえば、日本のシーレーン上かその近傍で紛争が発生すれば、日本経済を支えている他国との貿易が妨げられ、結果として日本の経済や国民の財産に対する危機となる。そうした事態にまで対処できなければ、本当に「国民を護る」ということにはならない。(ただし、対処と「武力行使」はイコールではない。もちろん、武力行使というオプションも考えるべきだが)
どうも、いわゆる自称「平和主義者」の諸氏の中には、こうした「広義の安全保障」に対しては故意に (?) 目をつぶり、「冷戦の崩壊によって日本への武力侵攻が発生するという危険はなくなったから軍事力は必要なくて云々」という主張をする向きが見受けられることがあるが、とんでもない話である。日本本土に武力侵攻しなくても、それ以外のさまざまな事態で日本国民は簡単に干上がってしまう。そういう可能性を無視して自分の主張に都合のいい話だけを持ち出すのは、手前勝手というものだ。
先日、北朝鮮から帰ってきて「テポドンの発射はないといっていた」と会見した新社会党についても同じことがいえる。われわれ国民が必要なのは、北朝鮮が日本に「テロ兵器として使用できるミサイルを発射しない」という「事実」であり、「北朝鮮がミサイルを発射しないとも解釈できる発言をしていた」という「気休めの解釈」ではない。
なるほど、新社会党は「在日米軍と自衛隊反対」の政党だから、「テポドン発射の危機」なんていう話は認めたくないだろう。しかし、「ミサイル発射はない」と先方が「明言」したのならともかく、会見の内容のように「発射しないとも解釈できる発言をしていたから発射はない」などというのは、ただの言葉の遊びでしかない。こんな寝言をいっている政党が、本当に「国民の生命財産の保護」を考えているとは思えない。
それとも、新社会党は、実は北朝鮮の日本総代理店なのだろうか?この主張に対して反駁するなら、「我々が考える平和とはこういうことだ。そして、国民の生命財産の保護についてはこういうビジョンを持っていて、そのビジョンを実現するためにこういう具体的な行動 (ここが重要。言葉や主張を一方的に唱えるだけというのは駄目である) をとっており、現在までにこういう具体的な成果をあげてきた。しかし、まだ現実には理想を実現できないこういう事情があるから、それに対してはこのように対処する考えである」ということを、まずは聞かせていただきたい。議論はそこから始まる。
今やっているように、一方的な理想論を振りかざして現状を無視し、結果としてテロやテロの温床などを放置しておくなどというのは、お断りだ。私が求めているのは、具体的な行動と成果である。
あれこれと、テロ対策だの安全保障対策だのということを考えないと国民の生命財産が保護できないというのは、悲しい現状であるのは間違いない。しかし、その悲しい現実に対して、一歩ずつ、確実に対処していかないと、「本当に平和な世界」という目的地には着けないのではないか。
理想を持つのは結構だが、理想はいきなり実現するとは限らない。むしろ、確実な対処と変化を積み重ねてこそ、理想が結果として手に入るのではないか。そのことを、もう一度考え直すべきではないかと思う。
ここから余談。
今回のハイジャック事件でも、犯人がフライト シミュレータのゲームに熱中していて、同じことをホンモノでやろうとしたことから「仮想現実技術のせいで、仮想と本物の区別がつかなくなって云々」としたり顔に語る向きが見受けられたが、そういう問題ではない。IT だの仮想現実だのといったテクノロジーが世に出る前から、妄想と現実の区別がつかなくなる人はいたはずだ。事件にかこつけてテクノロジーを非難するのは、ただの八つ当たりというものだろう。
(かつての日本のように、妄想と現実の区別がつかないままに戦争指導をした国家というのもあるのだ)ひょっとすると、自分が最先端のテクノロジーについて行けないものだから、テクノロジーを非難して溜飲を下げているのではないか、と思いたくもなる。もちろん、もっともっとテクノロジーは人に優しくあらねばならないが、だからといって、この種の事件とテクノロジーを結び付けて非難しても、何も得るものはないだろう。
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