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井上孝司の Defense Column
〜核兵器廃絶への道毎年、この時期の恒例だが、広島と長崎の原爆犠牲者に対する追悼のイベントが行われ、それとともに、「市民団体」などが、核廃絶を求める集会を開いたというニュースが伝えられる。核廃絶。なるほど結構なフレーズである。しかし、「核廃絶」ばかりを叫んでみても、多分、それで本当に核廃絶が実現することはないだろう。それは、現在の核廃絶運動が、「核兵器の惨禍」を訴えるだけで、核兵器を欲しがる国が後を絶たない理由を無視しているからである。長崎市長には申し訳ないが、"市民の力を結集" するだけでは、どの国の政府も動かないだろう。
核廃絶運動に携わる諸氏は、しばしば「核保有は大国のエゴ」という言葉を口にする。確かに、現在の「公認」核保有国はいわゆる「大国」であり、そういういい方をするのも無理はないが、エゴを批判するだけでは核兵器廃絶など金輪際できない相談だ。
では、なぜ核保有国が核兵器を手放さないか、核兵器を欲しがる国が後を絶たないかを考えてみよう。
現在、核兵器に勝る破壊力を持つ兵器は存在しない。また、核兵器が実際に使われた結果、核兵器が使われるとどれだけの惨禍が生じるかは明白になっている。そして、それが皮肉にも、核兵器がなくならない理由にもなっているのだ。
強大な破壊力を持つ兵器は、それの存在そのものが強力な抑止力になる。いわゆる「相互確証破壊 (MAD)」の考え方だが、実際、核兵器を使えば悲惨なことになるという考えが、核使用の敷居を高めてきたのは間違いないだろう。
しかし、この考えが通用するのは、核保有国のうち米英仏露中の 5 ヶ国に限定される。この他にも、インドとパキスタンが核実験を実施し、さらにイスラエルの核保有がほぼ確実視されている。さらに、イラク、北朝鮮は核疑惑を抱え、南アフリカは核兵器を保有した過去がある (現在は廃棄)。これらの国にとっては、核兵器というのはより「必要性が高い」兵器である。
たとえば、イスラエルの核保有は、イラクを除いて未遂に終わったアラブの核保有への動きに対抗するものであり、インドとパキスタンはいうまでもない。このように、「あちらが持ってるからウチも」という動機で保有された核兵器は、それらの国が頻繁に武力衝突を起こしているという現状から考えても、戦勢敗色濃厚に至ったときには「一発逆転」の必殺兵器として使われる可能性がある。
さらに、イラクや北朝鮮のように、政治的ヘゲモニーを握るための核兵器というものもある。これらの国の場合、核兵器を保有している、あるいは核兵器保有の疑惑があるということ自体が、これらの国が外交面で軽んじられないようにするための「政治的道具」と化しているのが現状だ。もし北朝鮮が核兵器にまったく無縁と見られていたら、周辺諸国がこれほど「北朝鮮対策」に躍起になることはないだろう。つまり、北朝鮮の「核疑惑」は、立派に政治的カードとして機能しているのだ。そして、北朝鮮は核疑惑や弾道ミサイル開発をテコにして、食糧援助を引き出そうとしている。
(類似のケースとして、イランが挙げられるだろう)ぶっちゃけた話、北朝鮮は核と弾道ミサイル以外に何の外交カードも持っていないから、その貴重なカードを手放すはずがない。こういう立場に置かれた国を相手に「核の惨禍」だの「核廃絶の願い」だのと御託を並べても、おそらく相手にされないだろう。せいぜい、「我々の脅威であるアメリカの核兵器を先に廃絶せよ」といわれるのがオチだ。
最近、「反核市民団体」が北朝鮮に「非核地帯化」を協議しに行ったそうだが、とんだお笑い草である。しかも、イラクにしろ北朝鮮にしろ、高度に統制された社会と一人の指導者の元に権力が集中された独裁政治体制を築いているという点で、米英仏露中とは一緒にできない。つまり、「指導者殿」が「核兵器を使う」といえば何の歯止めもない。これらの国に、文民統制もへったくれもないのだ。
そうした点を無視して、米英仏露中の核兵器と同じように「滅多なことでは使えない兵器」という認識を当てはめるのは、無理がありすぎる。
では、どのようにすれば核兵器の廃絶、あるいは大幅削減が可能だろうか。
少なくとも、高度に軍事化された国家に対しては「和戦両様の構え」が必要だと思うので、外交面で平和攻勢をかけるとしても、その裏付けとして軍事的な抑止力も併用する必要があるハズだ。だから、「核兵器を使用しても効果がない」あるいは「核ミサイルを発射しても目標に届かない」という状況を作り出すことができれば、あるいは核使用を思いとどまらせる可能性が出てくるだろう。そういう意味でも、弾道ミサイル迎撃の技術開発は必須だ。
そして、外交努力も併用して「高度に軍事化された」「独裁政治の」体制を突き崩し、紛争の種を抑えることができれば、核兵器の必要性は大幅に減少するから、核拡散を防ぐ第一歩になる。つまり、米英仏露中以外の国の核兵器から、まず減らしていくわけだ。
その一方で、事実上「使えない兵器」と化している米英仏露中の核兵器も、数を段階的に減らしていくことができれば、なお望ましい。これらの国にとって必要な核兵器は、「全面核戦争に勝つための核兵器」ではなくて、「核保有国に対する抑止力」としての核兵器だから、何千発・何万発もの核弾頭は必要ない。現に、アメリカでは核弾頭装備の巡航ミサイル AGM-86B を通常弾頭型に転換し始めている。
さらに、これを言い出すのは悲しい話だが、「通常兵器による核兵器の抑止」が成り立てば、核兵器の必要性はさらに減少できる。「全面軍縮」という主張から見ればとんでもない話にも聞こえようが、核兵器より通常兵器の方がマシである。
全面核廃絶は結構だが、いきなりそこにたどり着けないのが現状である以上、できることから一歩ずつ、段階的でもいいから進めていくことを考えてみてはどうだろうか。そのことを無視して、面子にこだわって「一挙全面廃絶」だけに固執しても、その目標が実現することは、半永久的にないだろう。核兵器の威力が認められているからこそ、誰もそれを手離したがらないのだ。ならば、技術的・政治的な工夫によって、その威力を少しずつ減殺していくことが必要ではないかと思う。
小さな一歩の積み重ねこそが、いつか大きな目標にたどり着く唯一の方法ではないだろうか。
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