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井上孝司の Defense Column
〜 過去の成功例は将来の成功を保証しない先日、神奈川県でキャンプ客がダムの放水に流されるという事故が発生したが、被災者が避難勧告を無視した際、「去年来たときも大丈夫だったから…」といって避難しなかったという報道がされている。災害が起こったときによく聞かれる台詞に、「ここに住んで××年も経つけど、こんな災害は初めてだ」とか「前にも似たようなことはあったけど、そのときは大丈夫だったのに…」といったものがある。しかし、そんなことは何のフォローにもならないのではないか。
たとえば、同じ大雨でも、毎回状況は異なるから、単純に「雨が降ったけど安全」といいきれないのはいうまでもない。また、自然の変化のスパンは非常に長いものだから、10 年や 20 年程度の居住経験だけで推し量れるようなものではないはずだ。
要は、過去の限られた経験に照らして自分を安心させているだけなのだが、そういった対応が、えてして被害を招く。亡くなった皆さんには酷ないい方だが、今回のキャンプ場の事故も、そんな事例の一つといえるだろう。
しかし、これは何も自然災害に限ったことではなくて、企業経営や外交、国防の分野にも同じことがいえるのではないかと思う。特に、戦時下の状況では、敵も味方も戦訓を取り入れて次々に改善の手を打つから (ときどき、そうしない国もあるが…)、前回の作戦がうまくいったからといって二匹目のドジョウを狙い、大失敗に終わった事例は多々ある。
太平洋戦争で日本が負けた理由の一つにも、この「過去の成功体験に対するこだわり」があったと思うのだ。具体例を挙げよう。
このように、華麗な成功をしたために陰に隠れた問題点が忘れられてしまったり、「夢よもう一度」とばかりに同じ作戦を繰り返して手の内を読まれ、大敗を喫した例はいろいろある。極端な話、日露戦争における日本海海戦の大勝利が、大艦巨砲主義への拘泥と東郷元帥の神格化という果実を生み、それがめぐりめぐって太平洋戦争の大敗に手を貸したのではないかと筆者は考えている。
- 過去の複葉戦闘機の格闘性能に拘泥し、新型戦闘機にも過度の格闘性能を持たせようとして他の性能を犠牲にした零戦
- インド洋作戦で対地攻撃の用意をしていたときに敵艦が出現したので、急遽兵装転換をし、結果的に爆撃隊が敵艦を撃沈したので次もうまくいくと思ったら、見事に裏をかかれて敵の爆撃隊に木っ端微塵にされたミッドウェイ海戦
- 金剛・榛名の飛行場砲撃がうまくいったので、二匹目のドジョウを狙って戦艦二隻 (比叡・霧島) の喪失を招いた第三次ソロモン海戦
同じことは現在にもいえる。たとえば、数年前に中国と台湾が一触即発の危機になり、米海軍が空母戦闘群を 2 個派遣する騒ぎになったが、結局、戦争にはならずに落ち着いた。それはたいへん結構なことだが、だからといって、この先、似たような事態が発生したときに、やはり平和裏に決着することだけを期待するというのは、おめでたすぎる考えというものだ。国防や外交に当たる者は、希望的観測ではなく、現状に即してあらゆる事態に対応できるカードを用意しておかなければならない。
成功体験は重要だし、何事も失敗するより成功する方がよい。しかし、その陰に隠れた問題点や小さな失敗の評価と対策をおろそかにしたり、タナボタ式に同様の成功を期待するという安直な対応を続けていると、必ずいつか大きなしっぺ返しを食らうだろう。願わくば、それが元で国土を荒廃させたり、侵略者に国土を蹂躙されるような事態を起こして欲しくないものである。
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