Opinion : 人材は多様なルートから (2001/8/27)
 

アメリカの新しい統合参謀本部議長 (CJCS : Chairman of the Joint Chiefs of Staff) に、リチャード B. マイヤーズ空軍大将がノミネートされた。現在、マイヤーズ大将は統合参謀本部副議長 (VCJCS : Vice Chairman of the Joint Chiefs of Staff) で、以前は北米航空宇宙防衛司令部 (NORAD) や在日米軍の指揮を執っていた経験もある。ここまでは、日本のマスコミ報道でも取り上げていた話だ。

確かに、久方ぶりに空軍出身の議長で、しかも NORAD 出身となれば、ミサイル防衛構想との関連が取り沙汰されるのは当然だし、在日米軍出身という経歴も「アジア重視」の現われといわれそうだ。だが、この件はそれだけの話なんだろうか、と思った。
そこで、米軍の Web サイトにアクセスし、マイヤーズ大将の経歴を見てみた。


マイヤーズ大将はミズーリ州カンザスシティの出身で、カンザス州立大学を卒業し、1965 年に空軍に入隊している。つまり、コロラド・スプリングス (空軍士官学校) の出身ではない。
T-33、C-21、F-4、F-15、F-16 で 4,000 時間以上の飛行経験を持つ「コマンド・パイロット」で、F-4 による戦闘飛行時間も 600 時間ほどある。時期的に見て、戦闘飛行時間はベトナム戦争でログされたものだろう。

また、アメリカの将官にはよくある話で、経営学の学位を持っているそうだ。アラバマ州マクスウェル空軍基地にある AU (Air University) で指揮幕僚課程を修了し、さらに陸軍のウォー・カレッジでも学んでいるそうだ。
こうした経歴の中で目を引いたのは、空軍士官学校の出身ではない、という点だ。しかも、一見したところでは戦争と関係なさそうな「経営学」の勉強までしている。この辺が、「軍人のキャリア」に対する一般的なイメージと食い違いを見せている。

もっとも、一般大学出身者がトップに座るというのは、米軍では驚くべきことではない。
現国務長官のコリン・パウエル氏もニューヨーク市立大学の予備士官訓練隊 (ROTC : Reserve Office Training Corps) 出身だし、5 代目の空軍参謀総長を務めた (というより、日本本土空襲で有名な) カーティス E. ルメイ大将もまた、オハイオ州立大学を卒業してから陸軍入りしていて、ウェストポインターではない。

軍人、特に士官として軍に入る場合のキャリアパスがいろいろあるというのはアメリカに限ったことではないが、特に米軍の場合、軍の学校、つまり士官学校や海軍兵学校出身者でなくても - たとえ市井の一般大学出身者や兵隊からの叩き上げでも - 本人に実力があれば最高位に登りつめることが可能である、という特徴が際立っているように思える。

純軍事的観点からいえば、平素からさまざまなルートで人材を養成しておく方が、戦時における戦力の急速な増勢を可能にしやすい。これで大失敗したのが太平洋戦争中の日本軍で、士官学校、あるいは兵学校出身者に偏重した「純血主義」を取っていたために、太平洋戦争になって戦力の急速な拡大に直面したとき、特に下級士官の増員で苦労したといわれる。
ただ、そうした観点だけでなく、組織がキャリアパスをいろいろ用意するということは、さまざまな視点を持った人材を集めることができる、というメリットにもつながるように思える。

もっとも、単に「入口」を多様化させるだけでなく、どこの「入口」から入っても、本人に実力があれば最上位まで昇進できるようになっていなければ意味がない。

そういう意味では、「キャリア組」が枢要なポストをかっさらい、残りのポストを III 種採用組が奪い合い、出世のための手段として修正申告の獲得という「ニンジン」をぶら下げている日本の税務署は最低である。
おっと、税務署の話を書いているのではなかった。閑話休題。

かつて米内光政は「軍人は片輪の教育を受けているので政治には向かない」といったそうだ。これはいささか極端としても、軍の学校において軍事学に重点を置いた教育を受けるのと、市井の学校で普通に学問をしてから軍人になるのとでは、受ける教育の内容に差が生じるだろう。そして、そうしたバックボーンの違いは、個人の見識にも影響を及ぼすハズだ。なぜなら、見識というのは知識に加えて、個人の人生経験を交えることによって涵養されるからだ。

ここでいいたいのは、そのどちらがいいとか悪いとかいう問題ではなくて、さまざまなバックボーンを持ち、結果としてさまざまな見識を持った人材が集まる組織の方が、柔軟性があって広い視野を持つことができるのではないか、ということなのだ。これは何も一国の軍隊に限らず、企業や役所でも同じことだ。

ひとつの組織の中で、長年にわたって同じようなバックボーンを持った人間が集まり続ければ、多少の差はあれ、似たような考え方をする人間が多くなりやすい。それはえてして、組織の硬直化や保守化、間違いを犯すことを嫌悪して前例に従うことしかできない官僚化、といったマイナスを生まないだろうか。
「陸大出身じゃないと偉くなれない」という状況を自ら作り出し、結果としてペーパーテストの得意な「点取り虫」や、威勢ばかりがよくて奇手・妙手を弄するのが大好きな「作戦屋」ばかりを大事にした挙句に壊滅した日本陸軍の敗因のひとつは、そんなところにあったのではないかと思うのだ。

最近の例では、ここのところ不祥事続きの外務省。ここも、似たようなキャリアを持つ人材ばかりを集めたことが、不祥事に甘い体質を生む原因になった可能性はないのだろうか。
現に、いわゆる「キャリア組」の登竜門たる国家公務員試験 I 種の合格者を指して「私大出身者と女性の比率が過去最高」なんてことがニュースになっている。このこと自体、これまではそうした人材が国家公務員のメインストリームから遠ざけられていたことを意味しているのではないか。

役所だけではない。いわゆる「一流大学」からの人材を、それも新卒で延々と採用するという方式を続けていた日本の大企業にも、役所と同じような問題の芽はないのだろうか。


日本では、やっと最近になって終身雇用に見切りをつけて「雇用の流動化」なんてことがいわれるようになってきた。それにより、単に流動性が生じるだけでなく、中途採用が常態化することで、さまざまなバックボーンを持った人材がひとつの企業に集まることが期待できる。それが、組織の柔軟性や活力を生む一助にならないだろうか。

たまたま、私は中途採用が日常と化している IT 業界、それも外資系の会社に勤めていたことがあるから、実にいろいろなバックボーンを持った同僚と一緒に仕事をしてきたが、多くの企業や、特に官庁は、まだその域まで行っていないだろう。

多分、似たような考え方の持ち主が集まっていては、ついつい考え方が保守化して現状維持に傾き、「守旧派」の烙印を押される可能性が高いのではないかと思う。そういう意味では、日本のお役所、特に中央官庁は終わっている。

もちろん、さまざまなバックボーンをもった人材を集めることだけでなく、そうした人材が能力を発揮できる「ムード」や「組織」を作ることも重要だし、個人が自分の思うところをどんどん表明できるカルチャーも必要だ。だが、とにかく「弾」が集まらないことには何も始まらない。

平素からさまざまな人材を集めていて、いろいろな立場からの意見をぶつけ合えるような組織であれば、何か問題に取り組む際にも、複眼的に物事を見ることができる。それは、思い切った行動を取るためのトリガーにならないだろうか。それができてこそ、政治でも経済でも「断固たる構造改革」が具体性を帯びてこようというものだ。

案外と、沈滞ムードにある日本を再生するきっかけは、そんなところにあるのではないだろうか。といったことを、つらつらと考えている昨今なのであった。

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