Opinion : 個人の功績を尊重しよう (2002/10/7)
 

日本が欧米諸国と比べて大きく異なる点にひとつに、公共施設などに個人の名前を付けることが少ない、という点がある。某宗教団体や、あるいは企業の名前は例外だが、これらはもともと個人の影響力が大きいものだから措いておこう。

特に個人名を冠する傾向が強いと思われるのがアメリカで、民間空港だけでなく空軍基地、さらには軍艦の名前や戦車の名前、もう個人名のオン・パレードだ。それも、以前は名前をもらった本人が死去したあとに命名していたものが、最近では存命中の人の名前がバンバン登場する。これは、日本では考えられない話だ。

では、日本はどうかというと、海上自衛隊の艦艇は地名か天象・気象の類が大半だし、航空自衛隊や陸上自衛隊でも、固有名詞は滅多に出てこない。施設の名前だって、現地の地名ばかりだ。

これらの違いを「文化的な違い」と一言で切り捨てるのは簡単だが、今週はそこのところをもう少し、掘り下げて考えてみたい。


別にアメリカに限った話ではないが、施設や軍艦などに個人名が冠せられる場合、それは何かで活躍した著名人のことがほとんどだろう。個人名を冠するのは何らかの PR 効果などを期待する部分があるわけで、誰も知らない人の名前を付けても PR 効果にならない。

たとえば、存命中の人の名前が軍艦に付けられた古い事例として原子力空母 Carl Vinson (CVN-70) があるが、この人は第二次大戦の前に海軍の艦艇大増産計画、いわゆる「ヴィンソン法」をこしらえたというぐらいの人だ。それだからこそ、海軍が「恩義」を感じて (?) 原子力空母の名前にしたのも無理はない。

もっとも、これは例外中の例外的・超大物議員だからで、一般に原子力空母の名前は大統領が多い。空母はアメリカの力の象徴だし、よほどのことがなければ、議員の名前程度では引き合わない。フランスでも、空母の名前になっているのはクレマンソーやシャルル・ドゴールといった、大物中の大物に限られる。
(それを考えると、空母の名前になったチェスター・ニミッツは、例外的大物と認識されているわけだ)

もうちょっとスケールを小さくすると、空母以外の海軍の戦闘艦艇や陸軍の AFV は、たいていが活躍した軍人の名前だ。もっとも、負け戦で活躍した場合より、勝利の立役者の方が登場頻度が高いようだが、これは仕方ない。
同じことを日本でやったら、どうなるだろう。たとえば、「ヘリコプター護衛艦・東郷平八郎」「90 式・山下奉文戦車」… うーむ、これはちょっと嫌だ。

もっとも、軍隊が使うものに軍人の名前を付けるのも、大学などの建物に OB の名前を付けるのも、その程度なら不自然さは少ない。はなはだしきは、無反動砲に国王陛下の名前をつけてしまうスウェーデンのような事例もあるわけで、日本で同じことをやったら、防衛庁の前は街宣車でいっぱいになるに違いない (笑)


いささか、話が脱線した。
ともあれ、このように各所で個人名を冠する風習があるというのは、欧米の「個人をフィーチャーすることを憚らない」という社会風土と関係があるのではないかと思う。あちらでは、政治家や軍人、企業経営者など、さまざまな場面で個人がフィーチャーされることが少なくない。

ところが、日本の場合は事情が違い、もともと特定個人が突出して目立つことを良しとしない風潮がある。そうでなければ「出る杭は打たれる」なんて諺はできないわけで、実際、企業や官庁では何かの功績をアピールする際に、特定個人を売り出すことよりも、組織全体を売り出すことの方が多いように思える。

それはとどのつまり、「個人の利益」よりも「集団の利益」を重んじるという考え方になる。例の青色 LED をめぐる訴訟で会社側の主張を認める判決が出たのも、青色 LED を開発した功績が、技術者個人ではなく、その技術者が所属している組織に帰せられるべきだという考え方が背景にあったのではないだろうか。
(少なくとも、会社側にはそういう考え方があったわけだ)

だから、社員の報酬を決めるに際しても、年功序列・横並びで金額を決めるのが普通だったし、給料を上げるときには「ベースアップ」と称して、これまた横並び。何をするにも横並びで、常に「周囲と同じ」ということを意識していたし、また、報酬を受け取る側も、それを当然のことだと思っていた。

ただ、個人がそれぞれ、得意な分野で持てる実力を盛大に発揮しなければならない、ということになると、こういう報酬制度は非常に具合が悪い。というのは、すべて横並びで決められていては、もし突出した成果を挙げても、それが正当に報いられることがなくなってしまう。そういう事態が続くと、頑張っても報われないとして無気力になってしまうか、あるいは、活躍が正当に報われる別の場所に人材が逃げてしまう。
現に、青色 LED を開発した中村氏も、会社を離れてアメリカに渡ってしまったではないか。

その傾向を後押ししているのが「成功者から巻き上げることだけを考えている税務行政」なのだが、この件について触れると大脱線になってしまうし、この件については過去に取り上げたこともあるので、今回は触れない。


私は、個人の代わりに組織をフィーチャーするのではなく、個人が突出した業績を挙げた場合、それに対して正当に報い、フィーチャーするべきだと思っている。それが、個人のモチベーションを引き出すには最高の手段だと思うからだ。

表に出すかどうかはともかくとして、たいていの人には「名誉欲」とか「自己顕示欲」がある。それを上手につついて成果を引き出すには、成果を挙げた場合にこれらの欲求が満たされる、という環境が要る。自分がフリーランスで仕事をしているのも、ある意味、自分の成功を自分の成功として享受したいから、という背景があるのは事実だ。

だからといって、軍艦や戦車や飛行場に個人名を付けるべきだ、とまではいわないが、少なくとも、個人の功績が組織の功績にすり替わってしまうようなやり方は、できるだけ改めるべきではないだろうか。個人の活躍なくして、組織の活躍もあり得ないのだから。

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