Opinion :「そして怒りを乗り越えよ」とは ? (2002/10/14)
 

以前から読んでおきたいと思っていたのに手を出し損ねていた、コリン・パウエル国務長官 (個人的には、やはり CJCS - 統合参謀本部議長としてのパウエル大将、という印象の方が強い) の自伝「マイ・アメリカン・ジャーニー」を、先日、やっと読了した。

その中で、パウエル氏が机の上に置いていた「コリン・パウエルのルール」なるものが紹介されているのだが、その中の二番目は、こういう内容だ。

まず怒れ、そしてその怒りを乗り越えよ

これ以外の「パウエルのルール」は、非常に明解で分かりやすい。ところが、この第二項だけは、何を言いたいのだろうかと考え込んでしまった。


人間が何かを成し遂げようとするとき、往々にして障害や困難に直面する。それを乗り越えるためのエネルギーを発揮し、自らに動機付けを行う方法はいろいろあると思うが、そのひとつに、怒り、怨嗟、反発心、復讐心といった感情を使う方法がある。

ひらたくいえば「なにくそ、今に見ておれ」という感情をバネにするわけで、仕事でも勉強でも恋愛でも、意外と登場する機会の多い動機付けの方法ではないかと思う。挙句の果てには、日露戦争前の日本のように、国策遂行においても同様の手法が使われた事例がある。

確かに、怒り、あるいは復讐心といったものがもたらすエネルギーは、馬鹿にできないものがある。パウエル氏が「まず怒れ」といっているのも、その辺の威力をよく承知しているからだろう。では、後段部分の「そして、その怒りを乗り越えよ」とはどういうことだろう。

個人的な考えだから異論も多々あるかと思うが、「怒り」あるいは「復讐心」によって生み出されたエネルギーは、その効果が比較的短期的なものである、という考え方はできないだろうか。一年、あるいは数年といった短いスパンであれば、怒りや復讐心をエネルギーに転化できるが、その効果は長続きしない、という考え方だ。

たとえば、失恋して「もっと素敵な人になって見返してやるもん !」と思ったり、あるいは会社を解雇されて自ら起業し、事業を成功させたり、大きなところでは、他国に奪われた自国固有の領土 (と思っている土地) を奪い返したり…
どれをとっても、目的を達成するまでの期間に限定すれば、怒りや復讐心のもたらすエネルギーは威力を発揮するだろう。しかし、ひとたび目的を達成してしまったら、その後はどうやってモチベーションを維持すればいいのだろうか ?

そう考えてみると、パウエル氏が「怒りを乗り越えよ」といっているのは、さしあたってのエネルギーを生み出す手段としての「怒り」の有効性を認めつつも、長期的には「怒り」以外の動機付けの手段が要るよ、という意味なのではないか、と思うのだ。

言葉を変えれば、アドレナリンが流入した状態というか、カンフル注射を打った状態というか、アフターバーナーを焚いた状態というか… そのような方法で生み出されたエネルギーは、長期にわたる持久戦を戦うには向かない、という意味ではないか、と解釈してみたわけだ。

「コリン・パウエルのルール」には、それぞれが意味するところに関する解説がまったくないので、これが氏の本心かどうかは定かでないが、どうだろう。


もうひとつ、「怒りを乗り越え」なければならない理由として、考えてみたものがある。

「怒り」や「復讐心」がもたらすエネルギーには、長続きさせるのが難しいということ以外に、周囲と軋轢を引き起こしやすいという副次的問題点もある。それは、ことあるごとに「過去の歴史」を持ち出して、言葉は悪いが「ゆすりたかり」に出てくる中国や韓国、北朝鮮の外交を見れば一目瞭然だ。
もっとも、日本側とて太平洋戦争を初めとして、同じように自分が被害者になった話を引き合いに出して騒ぐ人はいるのだから、お互い様ではないか、とも思うが。

個人同士の付き合いで、いつまでも過去の話を蒸し返して騒げば、要らぬ喧嘩になるのは当然のこと。なのに、どうしてそれを外交の場で展開したり、はたまた喧嘩に火を注ぐようなことをする手合いが出るのか、そこのところが理解に苦しむところではあるのだが、実際、互いに自分にとって都合のいい過去の話を蒸し返して喧嘩を引き起こしている事例は、世界各地にある。これも、「怒りを乗り越えて」いないのだとは考えられないだろうか。

もちろん、何か悪いことをしたのなら頭を下げることは必要だろうが、いったん頭を下げたらそれで終わり、後で蒸し返すようなことはお互いにしない、というようにしないと、まとまる話もまとまらなくなる。世界中、どこの国でも、過去の歴史をたどれば加害者、あるいは被害者になった話の一つや二つはあるもので、どちらにもなったことがない、というケースはほとんどないハズだから。


パウエル氏が制服組の最高位にまで登りつめることができたのは、もちろん能力的な部分も大きくあずかったのだろうが、軍隊とて人間が集まってできている組織なのだから、人間関係を上手に処理できなければ、どんなに能力に優れた人でも、それほどの出世はできない。まして、直接の部隊指揮権を持たず、あくまで最高指揮官たる大統領の輔弼に徹する統合参謀本部議長というのは、喧嘩っ早い人には勤まりっこないポストだ。

そういうポストを立派に務めることができたのも、パウエル氏が「怒りを乗り越え」て、職務に対する動機付けを別のところに見出すことができたから、とは考えられないだろうか。なかなか、考えさせられるところの多い言葉だと思った。

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