Opinion : 制約が厳しいほど面白い (2003/5/19)
 

IT 業界にどっぷり浸って十数年、すっかり忙しくなってしまった昨今では絶えて久しいが、今と比べれば時間的余裕のあった学生の頃に、「鉄道車両の設計」という趣味を持っていた。

といっても、そんなに詳細な設計までするわけではなくて、ひとつの編成をまとめるのに必要な車両をリストアップした上で、形式図を書いて終わり、という程度のものだから、本職の設計技師の方から見ればお笑いでしかない。だが、通勤電車から特急車両まで、「あーでもない、こーでもない」と脳漿を絞りながら図面を起こすのは、なかなか面白い作業だったと思う。

で、いろいろと図面を書いているうちに気付いたのは、「制約が厳しい方が面白い」という現象だ。


どんな設計作業でも、制約がまったくないということはない。とはいえ、相手によって、やはり制約条件の多寡は存在する。

そもそも、鉄道車両の世界では、「箱」のサイズすら好き勝手に決められない。車両限界からはみ出したらホームをこすったりトンネルにぶつかったりしてしまうから、見えない「枠」の中に車体を収めなければならない。
さらに、相手が新幹線なら空力特性や重量軽減という問題も出てくるし、それでいてデザインや接客設備の水準も落とせない (最近ではデザイン面で「?」といいたくなる新幹線車両もあるが…)。では通勤電車は簡単かというと、そうともいえない。これはこれで、考えなければならない要素は多いし、コストの要求も殊更に厳しい。

そのような、さまざまな「枠」の中で、デザインに配慮しつつ、使い勝手に配慮しつつ、自分が平素に不満だと思っている点に対する解決を盛り込みつつ、扉や座席、仕切り壁、窓、その他諸々の構成要素をはめ込んでいく作業は、ちょっと難易度が高いパズルみたいなものだ。そこで、何かアイデアを思いついて、不可能そうに見えた課題を解決できた (ような気がした) ときには、無視できない達成感が味わえる。

なにも、こうした話は鉄道車両に限らない。自動車でも飛行機でも船でも、あるいは原稿でもコンピュータ・ソフトウェアでも、みんな同じだ。
Windows 95 がある程度普及した頃の話だったと思うが、Windows 95 の登場で「640KBの壁」が取り払われたせいで、「最近のソフトウェアはメモリの使い方がラフだ」とぼやいていた雑誌記事か何かを見たことがある。

確かに、極めて限られたメモリをチビチビ使わなければならず、その範囲で機能強化競争をやっていた MS-DOS の時代というのは、まことに「制約の厳しい時代」だったと思う。なにしろ、MS-DOS 用のプログラムの中には、実行ファイルのサイズを小さくするためにメッセージの長さを切り詰めたものまであったぐらいだ。当節のプログラムでは想像もできない。
あと、日本語ワードプロセッサと MS-DOS が、1 枚のフロッピー ディスクに収まっていた時代もあった。今では OS だけで CD-ROM の容量をはみ出している。

また、その「640KB しかないメモリ」の範囲内で、MS-DOS と Windows 3.1 に加えて、メモリ食いで知られた LAN Manager クライアント、しかもプロトコルが NetBEUI と TCP/IP の二本立て (おっと、XNS との三本立てというのもやっていたな) となると、もう空きメモリの奪い合いになる。そこで、CONFIG.SYS ファイルや AUTOEXEC.BAT ファイルを「あーでもない、こーでもない」と書き直してはリブートを繰り返し、空きメモリを 1KB でも稼ぐ工夫をするわけだ。

もっとも、最近でも RAM 搭載量が少なめの PC で Windows 2000 や Windows XP をできるだけ快適に動かそうとして、余計なサービスを止めたり画面表示効果を簡略化したりするなどの悪あがきをしているのだから、相手にする RAM の量が 400 倍ぐらいに増えたとはいえ、根本的な部分は全然変わっていないのかもしれない。


年寄りの昔話はこれくらいにして。

自動車 (特にレーシングカー) や鉄道車両もそうだし、とりわけ軍艦や戦闘機といったメカに、自分が強く惹かれる理由を考えてみた。ひとつには、あまりにも厳しい制約の中で設計者が工夫に工夫を重ねている成り立ちが、こういったメカの形に現れていて、そこが魅力的に感じられるのではないかと思う。

特に飛行機の場合、空力と重量面の制約が他と比べても厳しい。それだけでも大変な話で、飛行機の開発話に「重量超過」はお約束みたいなものだが、最近ではさらに「ステルス性能の追求」なんていうネタが割り込んできて、ますます話を面倒にしている。F-35 のごときは、さらにチャレンジングに「超音速 VTOL 機を作る」「それをできるだけ CTOL 型と共通化する」なんていう制約まで課しているのだから、もう大変だ。

飛行機以外で、もっとも近い立場にあるのはレーシングカーだと思う。だから、成功作といわれるレーシングカーは、おしなべて研ぎ澄まされた美しさと、設計者の知恵を見せてくれている。レース用のエンジンなど、もう眺めているだけでウットリしてしまうのだが、それって変 ?

何を作るにしても、あれこれと制約を課した挙句に失敗したら悲惨だが、成功したときの果実も大きい。だからこそ、技術者は必死になって脳味噌から知恵を搾り出す。いつぞやの日本軍のように、あまりにも現実離れした制約を課すのは考えものだが、厳しい制約や要求仕様の中からあまたの傑作が生まれてきたのも、また事実。艦上戦闘機に傑作が少なくない理由も、その辺に求められるのではなかろうか。
そう考えると、どこの業界でも「制約が厳しい方が面白い」という原則は、それなりに適用できるのかもしれない。

物書きの仕事に、戦闘機やレーシングカーの設計と同じ手法を持ち込むのは無理・無茶・無謀だが、自分でどんどん課題を生み出してハードルを高くすれば「制約を厳しくすること」は可能だと思う。それが、結果的にいろいろと知恵を絞らせることになって、いい仕事を生み出す源泉になるかもしれない。

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