Opinion : "世界最先端のユビキタス社会" の怪 (2004/3/1)
 

最近、総務省あたりが旗を振って、2010 年頃を目標に「日本を世界最先端のユビキタス社会に」とかなんとかいう動きがあるらしい。2010 年といえば 6 年も先の話。IT 業界で 6 年といえば、とんでもなく長い時間で、その間にどんな状況の変化が起こるか分からない。6 年前にさかのぼれば、まだ Windows 95 と MacOS 8.0、ISDN でしこしことダイヤルアップ接続という時代ではないか。その後の 6 年間に、いったいどれだけのイベントが発生したか。

そこまで揚げ足をとらなくても、たとえば総務省の 2/27 付報道発表「『ユビキタスネット社会の実現に向けた政策懇談会』の開催」なんかを見ているだけでも、「いったい、この人たちは何をしたいんだろう」と思わされる。


その総務省の報道発表資料を見ると、こんなことが書いてある。

…デジタル家電など IT 分野主導の回復の兆しも一部に見られる。
 我が国がこの分野で持つ強みを活かして、産業の活力回復を軌道に乗せ、同時に国民の創造力を高めていく上では、家電など多様な機器がブロードバンドに接続され便利で自由なコミュニケーションが可能となるユビキタスネット社会を実現し、日本発の新たな産業や社会の枠組みを構築することが極めて重要な役割を果たす…

だが、この報道発表資料には、重大なポイントが欠けている。その「家電など多様な機器がブロードバンドに接続され便利で自由なコミュニケーションが可能となるユビキタスネット社会」とやらが実現すると、我々一般市民にとって、いったい何が便利になるんだろうか ? そもそも、家電製品をネットワークにつなぐことに、どんなメリットがあるんだろうか ? だいたい、今の我々の生活が、そんなに「不便で不自由なコミュニケーション」で阻害されているだろうか ?

早い話が、PC やインターネットの世界ではアメリカに牛耳られてしまったから、未踏の分野と思われる「デジタル家電」と「ユビキタス ネットワーク」とやらで日本製品による世界制覇を実現し、「"プロジェクト X" したい」というだけのように読める。口の悪い言い方をすれば、「江戸の敵を長崎で」というわけだ。現に、先の文面には「日本発の産業や社会の枠組み」と書いてある。60 年前に軍事力で失敗したから、今度はユビキタスを口実にして八紘一宇を実現しようとでもいうのだろうか ?

以前に「情報家電に未来はあるのか」という記事を書いたが、その中で「何でもネットワークにつなげばいいというものでもなかろう」という趣旨のことを書き、「ゲーム機が家庭の情報端末に」という予言が外れた点を指摘した。冷静に考えれば、「ネットワーク化されたデジタル家電」としてモノになりそうな製品の種類には限りがあるし、そもそも、家電製品を何でもかんでもネットワークにつなごうという動きが業界に充ち満ちているだろうか。まともな脳味噌の持ち主なら、誰もそんなことは考えない。

思い起こせば、森政権の頃に「e-Japan」という言葉が登場して、「日本を世界最先端の IT 国家にする」とブチ上げてはみたものの、これだって看板ばかりが先行して、具体的なメリットが見えてきていない。確か、光ファイバーの普及率を云々という話もあったはずだが、これなど霞ヶ関的な見栄っ張り精神の典型例で、光ファイバーの普及率が高いから IT 先進国だなんていうのはナンセンス。真の "IT 先進国" あるいは "IT 革命" とは、IT を駆使することで、従来は不可能だったことを実現する、あるいは不可能ではないが難しかったことを簡単にする、といった変化をもたらし、それによって個人や企業、ひいては国家が豊かになることではないのだろうか。

で、その「IT 先進国を目指す e-Japan 構想」から、何が出てきただろう。電子入札はまだいいとしても、他人の確定申告書を印刷してしまったせいでロクにテストしていないことがばれてしまった国税庁の Web サイトに至っては、もはやお笑いでしかない。普通、Cookie でセッション管理するぐらいのことはするだろうに、あのザマはなんだろう。これが、自称「世界最先端の IT 国家」のすることか。
(もっとも、最先端なのはブロードバンド サービスの費用対速度と普及率ぐらいのもの、というのが実情ではある)

アメリカの Donald Rumsfeld 国防長官は "Transformation" という言葉をひっさげて、米軍の IT 化 (IT 先進軍隊) により、少数の戦力で、機敏かつ的確に敵を攻撃できる能力を実現しようとしている。その方針の是非について論じるのは本題ではないから措いておくが、単にドンガラやインフラの普及率で先進性を図るのではなく、「ネットワーク化された戦闘、あるいは軍事力とはかくあるべし」という理念や、それによって実現させようとする将来のビジョンが明確になっているところがポイントだ。

実際問題として、戦史をひもといてみると、前線の指揮官や兵士が情報の欠乏に悩まされて、判断を誤った事例がたくさんある。そこに IT を持ち込んで、どこでも情報の収集や共有を効率的に行える仕組みを実現すれば、過去には難しかった横綱相撲が実現するかもしれない。また、イラク戦争では、特に兵站面で IT を駆使した効率化革命が起きている。そういう意味で、米軍を初めとする軍隊の IT 化・ユビキタス化には、相応の価値が認められると思う。

だが、我々のような市井の一般市民のレベルではどうだろう。もちろん、どこにいてもネットワークにつながって必要な情報を引き出せるのは便利だし、携帯電話を使った情報サービスがウケている理由の一因はその辺にあるわけだが、総務省の報道発表資料を見る限りでは、そういう具体的なメリットを実感させる内容に乏しいし、現状と比べてどんな利点が新たに加わるのかも分からない。とどのつまり、単に「ユビキタスという名のハコモノ」を作ろうとしているだけのように見える。
それとも、これは「政策懇談会」に関する発表だから、とりあえず「デジタル家電がネットワークされたユビキタス社会」という言葉だけブチ上げておいて、具体的にどんなものにするかは懇談会でこれから考えるというのだろうか ? それって本末転倒っていわないか ? 普通、「現状の問題点はこれで、それをこういう風に解決したいから、そのためにテクノロジーをこう使う」って考えないだろうか ?


まかり間違うと、この手の官製ユビキタス社会は、とんでもない方向に行ってしまう可能性も考えられる。たとえば、最近の霞ヶ関は「ユビキタス」に加えて「RFID」にも御執心だが、運転免許証やクルマのナンバープレートに RFID を仕込んでおいて、いつ誰がどこに行ったかを全部記録してしまう「ユビキタス監視社会」を実現してしまう可能性だって考えられる。最近では「テロ対策」という錦の御旗があるから、なおさらだ。

現に、クルマのナンバープレートは N システムによって読み取られているのだから、それと同じことを「ユビキタス社会」でもって、もっとスマートかつ効率的に実現しようと考えない方がおかしい。大したデータが入っていない住基ネットのことを重箱の隅をつつくようにしてあげつらい、「私は番号になりたくない」などと煽っているヒマがあったら、少しはこっちの危険性について考えたらどうだろう。

正直な話、総務省の「ユビキタス構想」について聞いたときには、毎度恒例のハコモノ優先・メリット不明・日の丸固執・空虚な観念論という、政官界の悪癖がモロ出しになった話だと感じてしまった。これが懸念だけで終わればいいのだが。

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