Opinion : ときには見直しや後退も必要 (2004/8/30)
 

しつこいけれども、今週もこの話題から。

12 球団あるプロ野球を 10 球団に減らそうという動きに、感情的反発が相変わらず強い。自分みたいに「デモをするヒマがあったら球場に試合を見に行ってやれよ」とか「カネにならないものはしょーがないじゃん」と思うのは少数派らしい。

この騒動を見ていて思ったのは、「日本人って、いったん広げてしまった戦線を、後から縮小して整理するのが嫌いなのかいな」ということ。
ものすごく好意的な見方をすれば、「現状では儲からないから、いったん 10 球団・1 リーグに戦線を縮小して立て直し、経営的な基礎体力をつけ直す」という考え方もできるのだが、実際のところはどうなのだろう。

ともあれ、ヤバイと思ったらすかさず戦線を縮小、あるいは撤収して体勢を立て直すことができないと、もっと悲惨なことになるのは確か。撤収のタイミングを失ってズルズルすると、総崩れになってしまう。


よく考えたら、似たような話はいろいろある。「フルライン自動車メーカー」を捨てられずにいる三菱自動車もそうだし、赤字続きの事業部門をなかなか整理できない会社もある。そんなときに出てくる言い訳が「○○さんが苦労して立ち上げた事業を、そう簡単に止められない」なんていうものだったりする。
多分、整備新幹線や高速道路の問題も同じで、「いったん造るといったものを、後になって引っ込めるのは怪しからん」という、今のプロ野球と同じ感情が根底にあるのではないかと思える。

歴史をひも解いてみると、似たような話は日本にも、他所の国にもいろいろある。いったん手に入れた土地は「何が何でも手放してはならない」といって、砂漠のワジひとつにまで死守命令を濫発したヒトラーもそうだし、「同胞の血を流して手に入れた、日本の生命線たる満蒙を手放すなんて」といって収拾がつかなくなった、太平洋戦争前の日本もしかり。

ヒトラーの場合、もともと地図を塗り替える目的で戦争を始めたものだから、塗り替えた地図を (仮に一時的でも) 元に戻すのが耐えられなかったのではないかと邪推するのだが、対ソ戦の最初の冬に、死守命令がうまく行ってしまった事例があったせいで、後になっても「死守命令」に縋ってしまったという説もある。なんにしても、困ったものだ。

満州問題についていえば、それを保持し続けることでかかるコストと得られる利益、手放すことで得られる利益と失うもの、と両者を天秤にかけて、最善の結論を出すのが筋だと思うのだが、これは後知恵というものだろうか。後から冷静にみれば「それは違うだろ」ということでも、当事者はなかなか気付かずに、却って傷を広げてしまう。これもよくある話。分野は違うが、自分も経験がある。

結局、満州問題に関しては「同胞の血を流して手に入れたものを手放すなんて」と感情論先行で押し切った結果として、アメリカとの戦争になだれ込み、その戦争にボロ負けして、膨大な日本人の生命が失われて国が丸焼けになった。(と単純化してしまうのは極めて危険だが、ひとつの原因なのは確かではなかろうか)

その満州の奥地で発生したノモンハン事件にしても、ほんの数 km の国境線のために 1 個師団を犠牲にして、しかも得られたものはゼロ。
もっとも、ノモンハンで最悪だったのは、血を流して何も手に入れなかったことではなくて、貴重な戦訓、そして負け戦の原因を無視してしまったことかもしれない。土地が相手だと「同胞が流した血」が大事にされるのに、負け戦で流した「同胞の血」が大事にされないのは面妖の極み。かくして、機械化部隊相手の肉弾戦が太平洋戦争でも繰り返されて、さらに多くの血が流れた。

話がそれてしまった。
トム・クランシーの「Red Storm Rising」に「いったん手に入れたものを、奪うことはできない」という一節が出てくるが、小説の中で問題になったソ聯の農家に限らず、この種のメンタリティはどこでも同じなのかもしれない。あと、メンツを重んじるあまり、引っ込みがつかなくなるというパターンもありそうだ。


アメリカに目を転じてみると、企業は不振の事業部門をパッパと閉鎖したり売り飛ばしたりするし、大金を投じた新兵器開発計画をホイホイ (?) 反故にする。冷戦終結後にボツになった新兵器の開発計画が、いったいいくつあったことか。パッと思いついただけでも、A-6F、NATF、AAAM、A-12 攻撃機、AF/X、クルセーダー自走砲、RAH-66 コマンチ、AGM-137 TSSAM。さらに、中止にならないまでも、建造が 3 隻で終わった SSN-21、計画が二転三転した次世代水上戦闘艦、予定を達成せずに調達が止まった F-15E や F-14D、B-2A…

そういう意味では、F-2 や P-X に関する計画見直しの動き、あるいは海自の組織改編話は、いい悪いは別にして、この国としては画期的な出来事かもしれない。これまでなら、整備新幹線や高速道路と同じで、いったん決めたものは最後まで止めない、まさに「気を付けろ、計画は急に止まらない」という交通標語みたいな状態が多かったのだから。そう考えると、長官から「見直しの指示」が出ただけで大事件かも ?

ヨーロッパ諸国を見れば分かるとおり、兵器産業も一種の公共事業みたいなものだから、体質的に公共事業に似る部分があるのは仕方ないのかもしれない。だが、それもいかがなものかと思う。アメリカみたいにダイナミックすぎるのも、いささか極端ではあるけれど。

はたと思ったのは、この手の話は決して他人事ではないということ。
自分の仕事でも、いったん手に入れたものが未来永劫に続くわけではないし、戦線を広げすぎて収拾がつかなくなることもあるから、他人事と思わずに気をつけないと。状況に応じて打ち手をどんどん変えていく "agility" は、今みたいな時代、もっとも重要だと思うから。


ところで、初めの方で「○○さんが始めた事業を云々」という話についてちょっと触れたけれども、来週は、それと関連する (かもしれない) 話について書いてみたいと思っている。

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