Opinion : "ライト" バージョンの誘惑と罠 (2004/12/20)
 

さまざまな工業製品に共通する原則として、改良を重ねるにつれて肥大化する、というものがある。乗用車が典型例で、たいていの場合、フルモデルチェンジごとに少しずつサイズが大きくなり、何代か経過すると、いつの間にかひとつ上の車格と同じぐらいのサイズに膨れたりしているものだ。すると、その穴を埋めるべく、サイズダウンしたニューモデルが下位に追加される。そして、それがまた同じ運命を辿る。

どうしてこんなことになるかといえば、同じクラスの競合車種と横並びで比較されて「車内のスペースが広い/狭い」「走りがいい/悪い」といわれる。その相対比較問題を解決しようとすると、どうしてもサイズや重量にしわ寄せが来て肥大化してしまう。相対比較される限り、このスパイラルを抜け出すのは難しい。

自分がフィールドにしている IT 業界でも、ソフトウェアがバージョンアップに従って肥大化するというのはよくある話。Windows でも一太郎でも Microsoft Office でも、バージョンアップする度に「でかい、重い、不要な機能ばかり多すぎる、ユーザーはこんな肥大化した製品を求めていない」と批判する声が出るのはお約束だ。

そして、こうした批判とワンセットで語られるのが、「機能を絞って安価にした "ライト" バージョンを出せ」という意見なのだが、いざ "ライト" バージョンを出してみると、これが売れないのだ。もし、本当にユーザーの多くが機能を絞った軽量版を求めているのであれば、「一太郎 dash」や「Microsoft Works」が市場を制覇していても不思議はないはずなのだが、実際にはそうならない。

面白いもので、何年か経ってみると、"重たかった" はずの製品はムーアの法則のおかげでサクサク動くようになり、"誰も使わない" はずだった機能は書籍や雑誌で「こんな便利な機能があるのに使わないのは損」といってフィーチャーされる。登場したときに重いのなんのとボロクソにいわれた一太郎 Ver.4 なんて、今の Pentium 4 マシンで動かせば "超軽量製品" だろう。えてして、そんなものだ。


ちょうど、最新の JDW 誌で「米空軍は依然として F-16 に対する投資を続けている」という記事が載っている。この F-16 という戦闘機も、F-15 イーグルに対する "ライト" バージョンとして登場した経緯がある。

F-15 が登場した当時、アメリカでは「そのうち戦闘機の価格はドンドン上昇して、いずれは米空軍の装備調達費で 1 機の戦闘機しか買えなくなる」なんてことがいわれていた。F/A-22A をめぐるゴタゴタを見ている限り、この批判も完全にハズレとはいえない。
そこで登場した F-16 では、ソフトウェアの世界でよくいわれる原則をそのまま適用して機能を絞り、レーダーは簡単な測距レーダーだけ、AAM は赤外線誘導のサイドワインダーだけ、機体を小型軽量化して余計なものを積めないようにする、というコンセプトで開発された。エンジンも F-15 と同じ F100 にすることで、コスト低減を図っている。

もっとも、その一方で FBW と静安定性低減技術を取り入れて (当時としては) 画期的な機動性を実現しているあたり、ただの安物ではない。とはいえ、根本的なコンセプトは "High-Low mix の Low" であることに違いはない。

ところが、実際にブツが登場してみると、やはりいろいろと欲が出てくるもので、レーダーが強化されて機首が太くなり、相応に空対地攻撃能力も付与されて、F-4 の後継となる戦闘爆撃機としての色彩が出てきた。さらに F-16C/D になってこの傾向が強まり、ブロック 40/42 で LANTIRN ポッドまで搭載するに及んで、初期型に乗るパイロットからはブタ呼ばわりされるような戦闘機になってしまった。

そして、ブロック 50/52 でエンジンをパワーアップして "ブタ問題" を解決したかと思ったら、今度は航続性能改善のためにみっともないコンフォーマル燃料タンクを背負うモデルが出てくる始末。もはや、ハリー・ヒレーカーが当初に描いていた軽量戦闘機のコンセプトは影も形もない。余計なものを積めないようにといって機内のスペースを制限したのに、ドーサルフィンやコンフォーマル燃料タンクのように外に張り出させてしまったのでは、なにをかいわんや。

もっとも、これは F-16 に限った話ではなくて、たとえば零戦が同様の道をたどっている。しかも始末が悪いことに、零戦では強力なエンジンを欠いていたから、F6F に張り合える強力な戦闘機にするはずが、ただの鈍重戦闘機になってしまった。多分、F/A-22 に対する F-35 も、いずれは機能拡張と肥大化の運命を辿るだろう。

多分、PC 用の OS やアプリケーション ソフトでも事情は同じで、ユーザーが横並び比較で「あれが欲しい、これも欲しい」といっていろいろ付け加えているうちに、F-16 ブロック 40 みたいに太ってきて、ライトでもなんでもなくなるのだ。
それに、「ユーザーが一部の機能しか求めていない」といっても、その「一部」が全ユーザーに共通するとは限らない。あるユーザーにとっては不要な機能でも、別のユーザーにとっては必要な機能だったりするわけで、両者のバランスをとると、結果的に肥大化への道を進んでしまう。

つまり、この話で何をいいたいのかというと、機能を絞った "ライト" バージョンを作っても、いずれはいろいろとユーザーが欲を出して追加装備を積み込み、いつの間にか重量化してしまうのがオチ、ということだ。冒頭で書いた、乗用車のモデルチェンジの話と同じだ。

数少ない例外は鉄道車両で、バージョンアップによって小型軽量化したケースがある稀有な事例といえる (例 : 100 系新幹線→ 300 系新幹線)。だが、これはもともと車輌限界でサイズが制約されており、しかも高速化のために軽量化が強く求められたという特殊事情がある。いってみれば、640KB の RAM に強引に押し込めて動作させようとしていた MS-DOS 用ソフトウェアみたいなものだ。


こんな調子だから、いつの時代にも語られる「軽量バージョンを求める声」というのは往々にして罠になり、いつの間にか軽量でもなんでもない製品に化けてしまうことが多い。だから、F-16 ブロック 50 でやったように力技で解決してしまう方が (エレガントではないが) 現実的、かつ経済的ということが多い。
第一、批判者がかつぐ Linux や OpenOffice が、Windows や Microsoft Office と比べて極端に軽量かといえば、そうでもなかろう。Opera や FireFox だって、今は軽いといって持て囃されているが、将来的に F-16 と同じ道をたどらないと、誰が保障できようか。

戦闘機でもソフトウェアでも何でも、「軽量バージョン」を出そうというときには、よほどの覚悟と思い切り、そしてユーザーの欲を説き伏せる意思がなければ、いずれは当初のコンセプトが雲散霧消してしまう可能性が高いという現実に、もう少し目を向けてみてはどうだろう ? 目の前の製品を「でかい、重い、使えない」と批判するのは簡単だが、だからといって、それを打ち消せる対抗製品が長期的にモノになる可能性は低いのだから。

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