Opinion : マニュアル化 vs 職人芸 (2005/10/10)
 

どうも日本では、「マニュアル化」という言葉の評判がよくない。マクドナルドのカウンターの応対なんかが槍玉に挙げられるが、そんなにいけないことだろうか。

だいたい、ハンバーガー屋でもファミレスでもコーヒー屋でも、チェーン店には「均質化されたサービスならではの安心感」というものがある。大量生産・大量供給が基本だから、極端に当たりが出ることはないかもしれないが、極端にハズレが出ることもない。どこのお店に行っても、自分が承知している一定範囲内のモノが出てくるという安心感がある。

スタバなんかは、アメリカでも日本でも出てくるものがほとんど同じようなものだから、「何が出てくるだろう」と不安にならずに済む。もっとも、そのせいでフードメニューが本国仕様のアメリカンテイストになってしまい、米軍基地の基地祭で模擬店に出てくるような、砂糖満載のコテコテなケーキを食べさせられたりもするが。

それに、「マニュアル化されているせいで、いつでも誰でも同じことをいう」と悪口をいわれる接客にしても、裏を返せば、相手が何をいってくるのかを予測できる利点がある。たとえば、デニーズに行けば「いらっしゃいませ、デニーズへようこそ」といって出迎えられた後は、人数、それと喫煙・禁煙の別を訊かれると分かっている。マクドナルドでも事情は同じ。もっとも、ときどき意図的に順番をひっくり返してしゃべり、店の人を混乱させる悪戯者もいるようだけれど。


当サイトを長く御覧いただいている皆さんなら御存知の通り、私は「誉」発動機の悪口ばかり書いている。あれだって、厳密にいえばフォローの方法がなかったわけではない。

職人芸で複雑精緻なエンジンを作るのなら、それを問題なく運用できるように、どういう風に整備すればいいのか、運転時の手順はどうすればいいのかを、ちゃんとマニュアルにまとめて、誰が読んでも間違いなく同じ手順で実行できるようにする。そうすれば、少しは事態がマシになったかもしれない。それができないのに、エンジンの設計だけ複雑精緻にしても「現場の実情無視」でしかない。
もっとも、エンジンそのものの工作精度や材質に問題があれば、整備・運用だけがどんなに頑張っても、効果はなさそうだけれど…

実際、「B-29 操縦マニュアル」(光人社刊) なんか見てみると、米軍のマニュアルときたら極めて徹底している。機体の概要から、飛行前点検・発進・巡航・爆撃・着陸・着陸後まで、一連の作業を全部、ご丁寧に絵入りの解説で説明している。エンジンをかけるときなんか、「これこれの操作をやり、この計器の針がいくつになったら次の操作に移ってもよろしい」と、そんな調子。これなら、初めて B-29 に搭乗するパイロットでも、とりあえずちゃんと飛ばすぐらいはできるだろう。

もちろん、機体の整備でも事情は同じ。別の機種だけれど、「ここのネジをどうする、次にプロペラをシャフトに差し込む。その次はどうする」といった具合に、極めて丁寧に書かれている。もちろん写真入りで。

特にアメリカの場合、民族も教育水準もいろいろだから、「誰が見ても分かるマニュアルを作る」ということ自体が立派な学問であり、研究の対象になる。確か、カーネギーメロン大学だったと思うが、こうした分野を専門に研究している TC (Technical Communication) の専門家がいるぐらいだ。

だから、今でも米軍機の運用や整備など、大概のことはマニュアル (T/O : Technical Order) が作成されていて、それに従って作業すればいいようになっている。もしも何か問題があれば、T/O の該当部分だけを差し替える。だから、T/O の内容を覚えてはいけないし、メモをとってもいけない。常に、最新の T/O を参照しながら作業しなければならない。

こうすれば、突出して優れた職人芸の世界はなかなか発揮できないかもしれないが、そこそこ一定以上の水準を保つことはできる。ロック岩崎氏の著書によると、空中戦のやり方までマニュアルがあるというから、実に徹底している。


では、日本で同じようなことをなかなか実現できないのはなぜか。

「誉」発動機の設計でも何でもそうだけれども、日本で尊重されるのは、今も昔も職人芸。長年にわたって経験を積んだ「この道ひと筋何十年」の人が、神業ともいえるような能力を発揮して、まわりの人を「へへーっ」といわせるようなやり方が評価されやすい。

だからこそ、「複雑精緻で取り扱いが難しい誉発動機」と、「それを使いこなして高い稼働率を実現した 47 戦隊」がワンセットで褒められるわけだ。取り扱いが簡単なエンジンで高い稼働率を維持しても、日本人のスピリットには響かない。そして、時間をかけて「修業」しながらワザをたたき込むとか、「先輩のワザを目で見て盗め」とかいったやり方が幅をきかせることになりやすい。

似たような話は他にもある。
戦前の国鉄で、C53 という蒸気機関車を作った (現物は、梅小路蒸気機関車館で見られるはずだ)。普通、動輪を駆動するためのシリンダは車体両側面に付いているのだが、C53 (と、その前身の C52) は 3 シリンダ式で、車体中央部にもう一組、シリンダや主連棒などのセットが収まっている。もちろん、整備の手間は五割増、ないしはそれ以上になる。なんでも、動輪の内側に入り込んで摺動部に注油するのが面倒だったらしい。かといって、注油をサボると過熱して火を噴く。

おまけに、この 3 組のシリンダを正しく同調させられるように弁調整をやらないと、走りがギクシャクする。機関車がオーバーホールなんかで工場入りしたときに、ヘタクソが弁調整をやると悲惨な走りになるが、某工場には「弁調整の神様」と呼ばれる人がいて、この人がやると実にスムーズに走ったそうだ。なんだか、47 戦隊の話を連想させるものがある。

さすがに運用・整備の面倒が嫌われたのか、この C53 という機関車、昭和 25 年までに全機が廃車となった。後に残ったのは、コンベンショナルな構造の C59 や C62。当然の措置だろう。

ついでに余談を書くと、日本の蒸気機関車は足回りのパーツがそれぞれ専用で、番号と左右の別が刻印してあった。つまり、ある機関車の足回りだけ外して、別の同型機に付け替えることはできない。工作精度が悪いから、特定の機関車に合わせてすり合わせをやった足回りは、他の機関車には合わない。他の業界も推して知るべし。


もちろん、経験を積んだ職人の芸が要求される場面もある。たとえば、潜水艦で使っている高張力鋼の溶接なんていうのがそうだろう。こればかりは、マニュアルを一読すれば誰でもできるというモノではなくて、実際に場数を踏んでみないと手に負えそうにない。ただでさえ、電気溶接は難しいのだ (経験者談)。

逆に、会社の仕事なんかだと、業務内容をきちんとドキュメントにまとめておくことが重要になる。これができていないと、担当者が退職したり異動したりした途端に仕事が進まなくなる。業務内容の文書化やルーティン・ワークのマニュアル整備は、あたら疎かにできない。

重要なのは、「マニュアル化して均質化を図れる分野」(または均質化を図った方がいい分野) と、「経験に裏打ちされた職人芸が求められる分野」を、正確に区別して使い分けることではないかと思う。マニュアル化ですべて片付くわけではないし、逆もまたしかり。

もちろん、ときには臨機応変な対応が要求されることもあるが、それは個人個人が経験を積みながら模索していただくしかない。それを全部マニュアル化するなんて不可能な相談。極端な例を挙げると、秘書とか、あるいはホテルのフロント業務なんていうのは、日常的に臨機応変と機転が要求されそうだ。

とはいえ、たいていの分野では「マニュアル化によって迅速に一定の水準を確保しておいて、そこから先は個人が経験を積むことでレベルを上げていく」というやり方がよいのではないだろうか。そのための土台作りという見地から考えると、マニュアル化も、そうそう捨てたモノではないと思う。

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