Opinion : 百家争鳴を許容できることの強さ (2006/10/2)
 

太平洋戦争中に、米軍が日本軍と退治してベラボーな損害を出した戦闘というと、タラワや硫黄島がよく知られている。特に硫黄島は、日本国の死傷者よりも米軍の死傷者の方が多かったということで、際立って目立つ存在になった。

そこでアメリカという国がおそろしいと思うのは、まだ戦闘が終わったばかりだというのに、その戦闘の状況に関するルポや死傷者の数に関する情報が国内で報じられてしまうこと。もちろん、大損害を出しつつも勝利で終わったから、というのはある。大戦初期の負け戦では、彼の国も相当な大本営発表をやっている。

それでも、誰も名前を知らないような太平洋上の小島を獲るために千人・万人単位の海兵隊員が死傷した、なんていう話が新聞で流されてしまう。そして、それを聞いて国内で百家争鳴の大騒ぎになってしまう。「なんでそんな小島のために大損害を出さないといけないんだ」と政府や軍部が批判される。

実は、こんなところに米軍、いや、アメリカという国家の強さにつながる秘訣があるのかもしれない。


よくよく考えると、今も事情は似たり寄ったり。タラワや硫黄島とは桁がだいぶ違うものの、イラクやアフガニスタンでは毎日のように死傷者が出ている。そして、国防総省では戦死者に関する情報を公表するだけでなく、Casualty Report を作成している。さすがに個人名まで当サイトで取り上げるのはどうかと思うので書いていないが、国防総省の報道発表を見れば、誰でも確認可能。

だから、反戦団体がそれを利用して「イラクで戦死した兵士の名前を書き込んだなんたらかたら」を作成する、なんてこともできる。国防総省としては「そんなつもりで公開しているのではないわい」と不満かもしれないけれども、とにかくそういうことになっている。

そして、戦死者の数を引き合いに出して「イラク政策は間違っている」「とにかくブッシュ大統領が悪い」「国防長官は辞めろ」と百家争鳴、政府の機密文書を引っ張り出してくるスクープまで発生する。「挙国一致」とか「挙党態勢」とかいうものを重視しがちな日本的感覚からすると、「アメリカの国論は割れている、現政権はおしまいだ」的な解釈になる。

でも、批判する声があるからこそ、その対象になる側では「批判されないように工夫する」あるいは「失敗を繰り返さないように工夫する」といったことに力を入れるドライブがかかる。失敗した話、マズい話が聞こえてこないと、失敗しているという事実認識が行き渡らないし、失敗から教訓を引き出して対応策を講じることもできない。

もしも何かマズいことがあったときに、部下がそれを上司・上官に進言できずに黙ったままだと、後でもっと酷いことになってしまう。失敗についてフランクに話すことができなければ、その失敗談を皆で共有して対応策・再発防止策を考えることもできない。勝利の体験談、成功の体験談ばかりが幅をきかせていても、ロクなことはない。

だから、周囲をイエスマンで固めた独裁者の体制は、遅かれ早かれ瓦解することが多い。いや、独裁国家に限らず、企業でも政党でもその他の組織でも、トップが何かやったり、あるいは新しい方針を打ち出したりしたときに、部下が総出でシャンシャンと賛成してしまうだけでは、批判・検証のメカニズムが働かないから、往々にして失敗や没落の原因を作る。それに、自分たちの主張を反対側から検証してみるとか、競合相手の突っ込みどころを精確に把握するとかいうことも難しくなる。

米海兵隊が現在につながる強襲揚陸作戦のドクトリンを編み出して、さらに発展させ続けているのも、太平洋戦争で血みどろの強襲揚陸作戦を何回も繰り返して、そこから引き出した戦訓があったから。そして、「こんな大損害を出さずに済むには、どうすればいいか」と関係者が脳漿を絞った結果として、現在のドクトリンや装備が実現しているわけで。

イスラエルでも、今回の Hizbullah との戦闘がうまく行かなかったということで、イスラエル国防軍では査問会の嵐になっているという。退役将官が集まった席に参謀総長が引っ張り出されて吊し上げを食う、なんてことも起きている様子。でも、それができるようなら、イスラエル国防軍にはまだ見込みがあるのかなと思う。やたらと戦闘的・攻撃的な国家運営の戦略レベルについてはともかく。

もしも、都合のいい話だけ引っ張り出して「勝った勝った」とシャンシャン会議ばかりやっているようなら、イスラエル国防軍はおしまいだ。そうなった方が嬉しいという人もいるだろうけれど。


この考え方を敷衍すると、Microsoft の力の源泉は、あの会社のオペレーションやプロダクトのことを批判しまくる、メディアや「アンチ」の存在なのかもしれない。批判の声が強いほど、それに対して何とかしなければと思うのが普通。企業でも何でも、宗教がかってみんなで礼賛しているだけでは、発展しないか、発展のスピードが遅くなってしまうかのどちらかになりやすい。

トヨタ自動車にも、似たようなことがいえるかもしれない。あの会社の製品も、基本的に自動車評論家受けしないことが多くて、自動車評論家の皆さんにはドイツ車とホンダ・スバルあたりが好まれる。ところが、ビジネスで勝利を収めているのは紛れもなくトヨタ。そういうところが、なーんとなく Microsoft と似ている。

自民党にも似た傾向があるかな ? そう考えると、日本の野党がどうも頼りない一因が、基本的に上意下達で批判・検証のメカニズムが育ちにくいところにあるのかな、と思えてくる。特にあの党とかこの党とか。
ただし、民主党は少し事情が違うかも知れない。なにしろ「政権交代」だけが目標で、そのために組織を崩さずにいる寄り合い所帯だというのが、とうの昔にバレてしまった。それだけでもダメだというのに、さらに自爆を繰り返している。これでは、政権交代どころの騒ぎじゃない。いま民主党に必要なのは「挙党態勢」ではなく「ガラガラポン」ではないか。

そんなわけで、自由な言論を統制してトップの意のままに従うことだけを強要するような企業、組織、あるいは国家はダメだよねと。それに、トップの人間とて全知全能の神様ではないのだから、間違えることも、極端な方向に暴走することもある。そんなときに周囲がシャンシャン賛成の人で固められていると、歯止めがきかない。それは自分たちだけでなく、近所にも迷惑を振りまいてしまうのがこまりもの。いやはや。

Contents
HOME
Works
Diary
Defence News
Opinion
About

| 記事一覧に戻る | HOME に戻る |