Opinion : 平和正義の先鋭化と暴走 (2007/5/21)
 

本当は、平和なヒマネタで DMV のことを書こうと思っていた (というか、あらかた書き上げてあった) のだけれど、週末にトンでもないニュースが入ってきたので、急遽、予定変更。その「トンでもないニュース」とは、これのこと。

普天間移設、海自支援で調査機器設置…名護沿岸海域 (読売新聞オンライン版、2007/5/19)
この日午後、海中で作業をしていたダイバーが、タンクからの空気を吸うため口にくわえたレギュレーターを反対派とみられるダイバーから外されたことが分かり、第 11 管区海上保安本部 (那覇) が捜査している。けがはなかった。
ほかにも機器にしがみつき作業を妨害するなどの行為があったとの情報もあり、確認を急いでいる。

事の真偽はともかく、平和主義を標榜する人が往々にして暴走するのは、ありがちな話。この辺の出来事に関して個人的に感じたことの多くは過去にも書いているので、過去記事の中から目についたものをリンク。

(もっとも、それと対立する右派だって、あまり褒められたもんではないけれど。と、某 blog のコメント欄を見ていて思った。せめて言葉遣いぐらいはもっとマトモにした方がいいのと違うか)


とにもかくにも不思議で不思議で夜も眠れない (うそ) のは、今みたいな反基地運動のやり方をすれば、それが国民の多くに受け入れられて、支持されると思っているのかいな、ということ。

今みたいなやり方っていうのは… 「人間の鎖」(最近では取り囲めるほど人が集まらなくて、「人間の壁」にスケールダウンしているらしいけれど) とか、「貴重な野生動物の保護」を表の名目に掲げるやり方とか、当局に電話・メール・FAX 攻撃を仕掛ける「ほげほげアクション」の類とか (紙資源と通信帯域の無駄遣いだから止めてくれる ?)、昔ながらのデモ行進 & シュプレヒコールとか…

それらが効果的な方法なんだとしたら、もっと支持が広まっていてもおかしくない。それでは現実はどうかというと、いまさら説明するまでもなく。それって要するに、この種の運動がマジョリティから支持されてないってことなんじゃないの ? いつもいうことだけれど、支持されないってことは、内容、あるいはやり方に間違いがあったんだ、って考えないの ?

そこで「自分たちの考えを理解してもらえない」と相手を小馬鹿にしたような泣き言をいったところで、ますます支持が遠のくだけだとは思わないの ? でもって、国会でお気に召さない結論が出るとヒステリーを起こして「国会なんていらない」とわめくって、そりゃ民主主義の否定でしょ。

販売成績が伸び悩む商品があったときに、メーカーの担当者が「うちの製品の良さを理解してもらえないのは消費者が馬鹿だからだ」なんて趣旨の発言をしたら、叩かれるに決まってる。それと同じことなんだけれど。


と。これだけだと、過去に書いたことの繰り返しになってしまうので、もうちょっと加筆してみると。

ひとことでまとめてしまうと、「独善」という言葉に尽きるんだと思う。仲間内でだけ通用する論理に凝り固まり、それが周囲からどう受け止められるか、ノンポリの人、あるいは反対意見を持つ人に受け入れられるか、といった点については深く考えてないってこと。
いや、「自然保護みたいな、受け入れられやすい旗印を掲げれば OK」、あるいは「都合の良さそうな話や陰謀論をかき集めれば、簡単に納得させられるハズ」と安直に考えている、という方が正解かもしれない。

内輪の論理で純粋培養した人材が、内輪でだけ通用する視野狭窄な論理を語り、目的のためなら手段は選ばず。でもって、それが外部からどう見えるかということには思い至らず、批判を受けると「誹謗中傷」と称して徹底排除。そして、独善的な言動・行動を繰り返して破滅に向かって一直線… どこかの国に、そんな政治的軍人がいなかったっけか。

もちろん、なにかしらの「信念」を持つのは大事なことではあるけれども、「私は正しい。私の主張が受け入れられないのは世間が莫迦だからで、教化しなければならない。私の主張を通すためなら何をやっても許される」というのは度が過ぎている。たいていの人は、そこまで行く前に程々のところで折り合いをつけることができるのだけれど、ときどきブレーキがきかない人が現れる。

だから、「○○を与党が強行採決した、怪しからん」とか「辺野古に自衛隊を送り込むなんて弾圧だ、横暴だ、クーデターだ」と主張するのと同じ方面の人が、別のところでは、blog で気に入らない内容の発言を「誹謗中傷」と称して削除したり (私が NIFTY-Serve で大喧嘩した十数年前から、気に入らない内容の発言を「誹謗中傷」と称する体質はまったく変わっておらん)、mixi のコミュニティでメンバー削除を強行したり、といったことが起こる。

さらに暴走すると、「自分の主張を押し通すためなら暴力的行為も辞さず」となり、「これは正義のための、平和のためのたたかいなのだから、そのためのアクションなら間違っていない」となってしまう。正直な話、この手の主張が臨界に達して、自ら暴力的行為に手を染める、あるいは暴力による政権転覆を目指す過激派と公然と結託する、そんなタイミングに近付いているように思えてならない。

そういう人が「正義のための戦争なんてありません。平和をもたらすために戦争をするというのは、権力者の言い訳です」なんて主張したら、ただのギャグになってしまう。そして、さらに世間からそっぽを向かれて、その結果としてますます先鋭化して… そりゃヤバいんじゃないの。

ていうか、仮にも平和主義・非暴力を標榜する人が「たたかい」なんていうなと。かな書きにしたところで意味は変わらない。action だって、辞書を調べてみると「交戦・戦闘」という意味もあったりするよ ?

「自分達が世間から無視されている、あるいは疎外されている」という一方的な被害者意識、それが「とにかく自分達が正しい。それを理解しようとしない世間が間違っている」という信念 (というより思いこみ) と結びついたときに何が起こるか。そのことは、我々日本人が十数年ばかり前に、実際に目の当たりにしていたハズなんだけれど。

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