Opinion : "危ないから止めろ" でいいの ? (2007/11/19)
 

三宅島でバイクイベント "公道レース事故が心配" (しんぶん赤旗)

「赤旗」にマジレスするのもどうかと思ったけれど、ピンぼけの度が酷すぎると思ったので。特に笑っちゃうのが、この記事の末尾にある、以下の文句。

日本共産党は、公道レースが危険だと批判してイベントを中止し、農漁業や観光基盤整備などの復興支援を求めてきました。

なにその土建議員みたいな言い分。
「たしかな野党」を標榜するなら、もっと具体的に、三宅島には何があって、どんな強みがあるから、それを実現して復興につなげるために○○の分野に△△のようなカネの落とし方をするべきだ、ぐらいのことをいえないでどうするのかと。要するに、石原知事のやることだからケチを付けたかったっていうだけじゃないの。

おっと、本稿で書きたいのはそういう話じゃなくて。


三宅島の件に限らず、自動車レース、あるいは二輪のレースというと「危ないから反対」という人が必ず出る。でも、危険性を認識した上でやるからこそ、いろいろと安全対策を積み重ねてきて、それで現在に至っているのも事実。

別に競争しなくたって、二輪でも四輪でも普通に走らせるだけで、なにがしかの危険性は伴うはず。実際、自分だって(マスコミや野党が大好きな言い方をすれば)「一歩間違えば昇天」という経験をしている。幸い、それより前にツインリンクもてぎでスキッドリカバリーの練習をしたことがあったのと、トヨタと関東自動車の人がいい仕事をしてくれたおかげで助かったようなもので。

それなりにレベルが揃った人が競っているレース場よりも、ある意味、公道の方が危ない。それに、レース場なら (たとえ公道レースであっても) 事故に備えた対策はするものだし、コース上を人がウロウロするわけでもない。それに対して、公道では無謀な運転をするドライバーはいるし、酔っぱらい運転をするやつはいるし、横断歩道のないところで無謀な横断をする人がチョイチョイいるし、高校時代の私みたいに自転車でハングオンして爆走するアホはいるし。

公道レースが危ないとかいうぐらいなら、そもそも自動車交通そのものが常に危険性を内包しているというべき。「たしかな野党」の「たしかな主張」としては、もう「自動車禁止」ぐらいのことをいわないとダメなんじゃないか (温室化ガスの排出量削減という主張にもかなうよ ?)。そして、国会や都議会に通うのにクルマを使うのも止めて、徒歩か自転車か人力車か馬か駕籠にすればいいじゃないか。

それで江戸時代ぐらいの水準まで戻せば安全… かというと、そうともいいきれない。徒歩ならスピードに伴う危険性はタカが知れているけれども、足を踏み外して橋や崖から転落するかも知れない。馬に乗っていて落馬するかも知れないし、馬の後ろに立っていて蹴られるかも知れない。そんなこんなで、江戸時代に引き戻したところでなにがしかのリスクはある。

アホみたいな揚げ足取りはこれくらいにして。
危ないからやっちゃダメ、良くないものは見せないようにする、というだけでは、本当の安全は手に入らない。

古くからある議論だと、小学校で子供に鉛筆を削らせるのにナイフを使わせるべきか否か、なんていう事例がある。容易に推測がつくと思うけれど、私はやらせてみるべきという主張。ただし、いきなりナイフを渡して「さあやれ」じゃなくて、少しずつステップアップさせる形で、という条件付きだけれど。

具体的にいうと、刃物の構造や、どうして切れるのかというところから始めて、どんなときに怪我をするのか、持ち方や使い方をどうすれば怪我しにくくなるのか、といったあたりから教えて、まず少しだけ削ってみる。固いもの、柔らかいものと、いろいろ切ったり削ったりしてみる。そうやって少しずつ使い方を覚えた上で、鉛筆を削らせてみればいい。鉛筆は木の部分と芯の部分で硬さが違うから、あれで案外ときれいに削るのは難しい。私だって上手にできない。

それでも、手が滑って怪我をする子供が出るかもしれない。でも、そういう経験をすることで「危険なものを扱っているんだ」という意識ができるんじゃないのか。そこから、今度は「刃物を人に向けない」といった類の話にもつながっていく。
軍隊では「危険なものを扱うからこそ、安全対策を徹底させる」という考え方をするけれども、それは娑婆でも同じハズ。危険なものを危険なものだと認識するところから、安全対策は始まるんじゃなかろうか。

ああ、それで「戦争に関連するものは見せたくない。そうすれば世の中は平和になる」というお花畑な発想が出てくるのか ! 確かに、危ないからやっちゃダメ、良くないものは見せないようにする、という発想とは軌を一にしている。納得納得。
いや、そこで納得しちゃいかん。それは単に現実から目を背けているだけだから。

もっとも、学校の現場にいわせれば「いまどきの子供に刃物なんか不用意に持たせたら、何をしでかすか分からない」という主張はあるかも知れないし、それはそれで一理ある。これはひとつのモノの例えで、要するに「危険だからといって忌避するだけではダメ」ということなんだと理解していただければと。


妹がメーカー勤務だから、工場の現場なんかで安全対策についてうるさくやっているという話を聞く。それだって、存在する危険を認識して、過去の事故経験を踏まえているからこそ。何でもかんでも危険だからやっちゃダメとかいってたら、日本中の工場が操業停止になってしまう。いやそもそも、人類を石器時代のそのまた前ぐらいまで戻さないといけなくなる。

「子供のときは危険から徹底的に隔離する。その代わり、大人になれば危険と向き合ってもいいのだ」というのは詭弁。いきなり 0 から 100 にすっ飛ぶのは、それ自体がリスク要因になると思う。少しずつ段階を追って手綱を緩めつつ、危険との向き合い方、危険の避け方を覚えさせるのが教育ってもんじゃないのかと。

公道レースは危険だから反対、という話からつらつらと、こんなことを考えてみた次第。

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