Opinion : "一日独裁者" の何がいけないか (2008/1/7)
 

新年早々、のっけから「これかよ…」みたいなネタになってしまった。御容赦いただきたく。

さて、朝日新聞元日紙面に載った例の傑作投書の話。

2008 年 1 月 1 日 朝日新聞「声」 東京本社版

苦しむ人救う「一日独裁者」  主婦 柴田十子 (宮城県柴田町 52 歳)

「独裁者になりたいよ〜」テレビでニュースを見ていると、つい叫んでしまう。
そんな私が 2008 年、ついに念願の「一日独裁者」になりました。仕事場をのぞいてみましょう。

「薬害肝炎は一律救済の芽はでてきましたが、原爆症の方々にも同様の措置をとりなさい」
「中国残留孤児の方々は誤った国策の犠牲者。裁判なしで、急いで救済しなさい」
「おにぎりが食べたいという遺書は哀れすぎる。生活苦から保護を求める人には給付しなさい」
「年金記録照合に何年もかかる ? フリーターをたくさん雇い手伝ってもらいなさい」
「拉致被害者ご家族の辛い思いが長すぎる。独裁者会談をして、私が全員連れ帰る。
日本の強制連行の賠償が先だって言われる ? じゃ、お金をたくさん用意して」
側近たちは「国庫にゆとりがありません」と抵抗します。でも独裁者はにこり、
「友人のビル・ゲイツとイチロー、松坂、トヨタ自動車の渡辺社長に連絡してください。みなさん困っている人の役に立ちたくてうずうずしています」

さて 2008 年、苦しむ人を見捨てない政治家が現れることを願っています

だがちょっと待って欲しい。

すでに各方面で 話題になっている 叩かれまくっているようだけれど、単に「アホか」と書くだけでは芸がないので、真面目に「"一日独裁者" という発想の何がいけないのか」を考えてみた次第。


以前にもどこかで書いたような気がするけれど、独裁者の何がいけないかというと、ブレーキがかからないこと、に尽きると思う。「中東には王制の方が向いていると思うが、王様個人の資質に依存する部分が大きすぎるからリスキーである」というのと似たところがある。

これがアメリカの大統領だったら、規定で 2 期 4 年8 年以上は務められないから (FDR は例外だけど)、今の George Bush 大統領がどんなに気に入らない人でも、最長 4 年間8 年間ガマンすれば念願は自動的に叶う。それに、大統領が何かにつけて議会と対立するのもお約束で、こうした仕組みが「世界最強の権力者」ともいわれるアメリカ合衆国大統領に対するブレーキになっている。

ところが、独裁者にはこうした歯止めがない。それどころか、独裁者を暗殺しようとしたら失敗して、独裁者はピンピン、暗殺を企てた方が粛清されまくり、なんて事例まであった。ブレーキどころか過給機になってしまった一例。
そんなこんなで、独裁者がまともな政治をするかどうかは、その独裁者個人の資質に依存する度合が高すぎる。そして往々にして、高名な独裁者の多くはロクでもないことをして、ロクでもない死に方をしている。

え、「私は正しいことをしようとしているのだから、独裁者でもいいのだ」って ? それが "正しい" って誰が決めるのさ。世の中、正しいと思っていたことが実は大間違いだったとか、正しいと判断した際の前提条件が間違っていたとか、そんな類の話はなんぼでもある。正しいかどうかを非の打ち所なく決められるのは、独裁者じゃなくて神様だけだと思うのだけれど、どうか。

しかもいやらしいことに、件の投書は「一日独裁者」といっている。つまり、一日だけ好き放題したら after field mountain 後は野となれ山となれ、ってことか。それはあまりにも無責任な考え方じゃないだろうか。やりたがっていることが正しいかどうかに関係なく、それ以前のところでダメダメ。自分の信念がぜえっっっったいに正しいというなら、ちゃんと夢の中でも「終身独裁者」として責任を取るのが筋だと思うけれど。


突き詰めると、「自分の考えていることは絶対正しい。だから、何をやっても許される」というありがちな思い上がりと、往々にして「富めるものは無条件に分け与えるべきだ」という脳内共産主義になりやすい「庶民感情」が結びつくと、こういう発想に行き着くのかなと思った。

でも、庶民感情だとか「かわいそうだから」とかいう情緒的な考えだけで物事を決めても、それですべて解決するとは限らない。第一、そんな理由で物事を判断してたら法治国家なんて成り立たなくなるよ ? 正直いって、自分で人を雇って会社を経営するような、さまざまな相反する条件の中で妥協していかなければならない経験をしていれば、こんなノーテンキな考え方はできないと思う。

これも以前にどこかで書いたと思うけれど、特に政府が推進する政策なんていうのは、さまざまな利害関係が対立する中で、議会審議や各方面の調整によって導き出される "妥協の産物" であることが大半。裏返せば、そうすることで極端に走る事態を抑えているということ。

独裁者にはそういう仕組みが効かないから、トンでもない極端な方向に突っ走るリスクがある。その結果、自国の経済、あるいは自国そのものをぶち壊しにした独裁者が、歴史上に何人も存在していたと思うけれど ? そういう、独裁政治につきまとうリスクをまったく考えていない、極めて思慮というものが欠けた投書だなあと思った。

投書の主が本当に 52 歳なら (そして投書の主が実在するのなら)、それまでの人生、いったい何を学んできたのだと問い詰めてみたい。そもそも、「独裁者」なんていう「ぐんくつの響き」を感じさせる言葉をノーテンキに使った投書を、よりによって朝日新聞が新年早々から載せてくるとは、いささか前のめりに過ぎないか。

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