Opinion : 続・人はなぜ陰謀論にハマるのか (2009/2/16)
 

2 年ちょっと前に「人はなぜ陰謀論にハマるのか」という記事を書いた。そのときの趣旨は「現実を受け入れたくないときの逃避として陰謀論にすがる」というものだったけれど、その後でつらつらと考えるに、どうもそれだけではないように思えてきた。

そのことと、blog で書いた「二階堂.com の駄法螺」の話が結びついたので、続編を書いてみた次第。

なお、いわゆる陰謀論だけじゃなくて、「それまで常識とされてきたことは間違い、真実はこうだ」という類の話も、以下で書くことの対象に含めていいと思う。子育てでも経済学でも軍事学でも、あるいはその他のさまざまな分野でも、その手の話はいろいろありそう。


いきなり結論を書いてしまうと、目の前に突きつけられた話を受け入れたくないときの「現実逃避」に加えて「他人が知らないことを自分は知っている、という優越感」を求める心理が背景にあるのではないか、ということ。そして、そういう心理につけ込んで、さも「もっともらしい話」を吹聴する陰謀論ビジネスみたいなものがはびこり、両者の相乗作用で陰謀論が広まってしまう。

しまった、これだけで終わってしまった。…というだけではなんなので。

人間、誰しも「他人が持っていないものを持っている」とか「他人が知らないことを知っている」とかいう類の話で優越感を感じるものだし、それ自体を悪だと言い切ってしまうのは、ちょいと無理があると思う。自分の中にもそういう心理はあるし、Web や blog で「実はこうなんだよ〜ん」という類の記事を書いたことは何回もあるし。

それに現実問題として、それまで「真実」とされてきたことが何かの拍子に大逆転した事例は、いくつもある。仕事などの立場の関係で、世間に流布しているのと違う「真実」を知っているけれども、しゃべりたくてもしゃべれない、なんてこともある。国が絡むネタだと、時間の経過や体制崩壊によって秘密指定が解除されたおかげで「新事実」が世に出ることもある。

だから、単に「世間に流布している話は間違い、真実はこうだ」あるいは「これまでの常識は間違いで、真実はこうだ」とかいう類の話がすべて、ガセネタや陰謀論だといいきってしまうのは間違い。というか、乱暴すぎる議論だろうなと。でも、その反対も成り立たないわけだけれど。

では、ガセネタや陰謀論と本物を見分ける手がかりって、何だろうかと。そこで考え込んでしまった。

ひとつ考えたのは、「いかにも多くの人が飛びつきそうな、魅力的で扇動的でアピールしやすい内容に仕立てたものは、疑ってかかった方がいいかも」というもの。たとえば、「著名人も続々推奨」「驚愕の○○〜」「隠されていた○○の真実が明るみに〜」「大スクープ !」「極秘情報をすっぱ抜き !」とかいう類の、派手な (定量化が難しくてゴメン) 謳い文句の連呼。

でも、これだけだと曖昧模糊としている上に定量化が難しいので、判断基準としてはいまひとつ。もうちょっと何かないだろうかと。
そこでさらに考えた結果、「権威付け」の有無、あるいは「情報発信者がいかにグレートな存在か」を殊更に言い立てているかどうか、は判断基準にならないだろうかと考えた。

つまり、受け手を納得させるための手段として、なにがしかの権威付けをこれ見よがしに行っているようなもの、「俺は凄いんだぜ」とこれ見よがしに強調しているようなものは、「ちょっと待てよ ?」と思った方がいいかも、ということ。

たとえば、blog でネタにした「二階堂.com」についていえば、「国防総省からカタログが送られてくる」とか「これが出ること自体、びっくり仰天」とか「一部の人しか見たことがない」とか「『いったい nikaidou.com は誰とつながっているんだ』と震え上がると思いますが」とかいったくだり。なにこの「中二病」満載の文章。

あと、ありそうなのが「大学教授の誰それがこういっています」「著名人の誰それもこういっています」とかいって、権威や看板を借りる手法。それ以外だと、誰でも正面切っては反論しづらくなるような美辞麗句の *むやみな* 強調も、却って疑わしく思えてくる場合があるかも。「愛」とか「平和」とか「環境保護」とか。


「陰謀論 (笑)」や「隠されていた真実 (笑)」を売り出す側も、なんとか多くの人に信じ込ませようとして必死になるわけだから、こうやって「怪しいと判断するための基準」なんて話を書くと、裏をかこうとして脳漿を絞るケースも出てくるかもしれない。すると、いたちごっこの無限ループ。とどのつまりは、場数を積んでいかないと眼力を養うのは難しいかも。

とかなんとかいっても、「うまそうな話には裏がある」という原則は、人をコロリと騙す儲け話だけではなくて、それ以外の分野にも存在するんじゃないかと思う。こちらが信じたいと思っているものを、うまい具合に差し出してくれる人の中には、そうでない人よりも「怪しい人」が多く含まれるんじゃないかなあ。といったところで、おしまい。

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