Opinion : サイエンスの知識と、少しの常識 (2009/11/16)
 

先日の、「くらま」と「カリナスター」の衝突事故に絡んで、「兵器という危険物を搭載した護衛艦が、あんな狭隘で混雑した海峡を通るなんて」と非難している人がいる由。一件、まともな主張に見えるけれども、その「危険物」の定義が問題。

という話はあまり取り上げられていないようなので、ちょっと書いてみようと思った。そこから話は意外な方向に発展するのだけれど、それはまた後で。


軍艦は戦闘の道具だから、武器という名の破壊の道具をいろいろ積んでいる。これは事実。ただし、その破壊の道具に関する知識が足りないと、妙なことをいいだしてしまう事態になる。

たとえば、「くらま」の艦首寄りには 5in 単装砲 Mk.42 が 2 門据え付けられていて、その下に砲弾が収容されている。と書くと「ほらみろ、だから危険物が云々」と言い出す人が出そうだけれど、まあまあ落ち着いて。

最近はあまり聞かない言葉だけれど、かつての軍艦では「弾火薬庫」という言葉があった。正確には「弾庫」と「火薬庫」の総称。弾の中には炸薬が入っているのだから同じだろう… ということはない。弾庫は弾そのものを保管する場所、火薬庫は弾を撃ち出すための装薬を保管する場所だから。

最近の艦載砲はせいぜい 5in 程度の口径しかないので、銃弾や (大半の) 戦車砲弾と同じように、弾と薬莢を一体化して、薬莢の中に装薬を入れた構造になっている。陸戦用の榴弾砲になると、弾と装薬は別になっていて、最初に弾、次に装薬を装填しないと発射できない場合が多い。そこで問題になるのが、この「弾」(と、その中の炸薬) と「装薬」の違い。

実は、弾の中に入っている炸薬 (ミサイルの弾頭も同じ) は、正しい手順と正しい道具を使わないと起爆しないし、衝撃が加わったから爆発するとかいう代物ではない。第一、衝撃が加わって爆発するような炸薬を使ったら、弾を撃ったときの衝撃で起爆してしまって使い物にならない。現実問題、軍艦の衝突事故・衝突事件は幾つも発生しているけれど、衝突による衝撃が原因で、弾庫で爆発が発生した事例なんてあったっけ ?

ポピュラーな C4 (Composition 4) や PE4 などは、火を点けても爆発する代わりにゆっくり燃焼するだけ。それでもさらに安全性を向上させる必要があるのでは、ということで、最近では低鋭敏性炸薬なるものが開発されている。そんな調子だから、衝突事故によって爆発事故を起こす可能性は極めて低い。(ただし、激しい火災になった場合は話が別)

それに比べると、装薬の方が注意が必要。実際、軍艦で「火薬庫の爆発によって沈没」とかいう事例の多くは、正確には装薬の爆発だと考えられる。もっとも、大口径砲を何門も搭載して、そのために大量の装薬を搭載していた昔の戦艦・巡洋艦と比較すると、昨今の軍艦が搭載している装薬の分量なんていうのは知れている。

とかいう話を念頭に置いた上で危険性について言及するならともかく、「軍艦なんだから武器という名の危険物を積んでいるのだし」という程度の認識だけで危険性について主張すると、話がおかしなことになってしまう。必要なのは、正しい知識と、いくらかの常識。先にも書いた「衝撃が加わったぐらいで爆発するような炸薬を砲弾に使うのは非現実的」という話は、まさに常識レベルの話。

もっとも、炸薬と装薬の違い、炸薬を起爆させるための方法、なんて話は学校では教えてくれないから (そこまで教えるべきだとも思わないけど)、こういう事件が起きたときに冷静かつ適切に解説できる人がいれば、それでよいと思う。

もっとも、「軍艦の危険性が云々」という主張が、たとえば「誰かにやりこめられたのが悔しいから」といって私怨をはらすために行われているとかいう、目的ではなく手段として行われているものであれば、それはもはや説得不可能だろうと思うけれど。


ただ、適切な解説があっても、それを理解するにはやはり、サイエンスに関する基本的な素養は要る。なにも C4 の化学組成について知っているべきだなんていわないけれど、せめて「燃焼」と「爆発」の違い、どういった条件が満たされると燃焼、あるいは爆発が起きるか、とかいった類の基礎知識ぐらいは必要。これは明らかに教育機関の領分。そして、ちゃんとした知識と常識が行き渡っていれば、「きれいな原爆」とかいう類の馬鹿げた陰謀論にひっかかる人だって減るだろう。

となれば、サイエンスに関する教育をきちんとやる必要があるのだけれど、「受検に有利」とか「就職に有利」とかいう次元で語って欲しくないなあ、というのが正直なところ。サイエンスって楽しい、サイエンスに打ち込むことに夢がある、サイエンスで世界一を目指してやろうじゃないかというモチベーションが高まる、そんな環境を整備することが、そもそも最初に必要なのではないかと。これはサイエンスに限らず、歴史でも語学でも何でも一緒だろうけれど。

何か実験をしてみる。それによって発生する現象を自分の眼で見て、体感する。あまり危険な実験をやるのはどうかと思うし、自分みたいに間違って塩素ガスを吸い込んで七転八倒、なんていうケースもあるから注意は必要だけれど。でも「どうすると危険なことになるか」を知ることだって重要。もちろん、安全対策はちゃんとやった上でのことであるにしても。

そういう、科学技術に関する研究とか教育とかいったところの土台は大事にする必要があるし、個人や企業のレベルでは対処できない基礎研究には、国費をつぎ込むことも必要。目先の数字だけ見て「無駄」とか「無駄でない」とかいうことをいってもらいたくない。それはまったくもって 蓮舫 乱暴な話。

そうやって短絡的な視点からサイエンスの基礎となる環境を蝕んでいくと、そのうち「燃焼」と「爆発」の区別もつかないような大人を大量生産するようなアホな事態になりはしませんか、なんてことを考えてしまった今日この頃。

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