Opinion : 敵の敵 ≠ 味方 (2010/5/31)
 

最近の、民主党の支持率低下だとか、普天間代替基地問題をめぐるゴタゴタだとか、さらにそれに付随する福島瑞穂消費者・少子化担当相の罷免だとかいったニュースを見ていて、ふと思ったのがタイトルの話。

一般に、「敵の敵は味方」という言葉が使われる。政治でもビジネスでも、個人同士の付き合いでも、はたまたブロゴスフィアや論壇などでも、よくありそうな話。でも、実際には「味方」という言い方に語弊があって、そんなに単純化できないんじゃないかと考えてみた。


敵味方の関係ができる原因には、利害関係の対立、あるいはモノの考え方をめぐる対立などといったものが挙げられる。そういった対立が一次元、つまりひとつの軸の両側で対立している場合には、一方の端に対して敵に回った側が自動的に、反対側の端につくことになると考えてよさそう。

ところが実際には、そんなシンプルな図式にはならないことの方が多いはず。すると、二次元・三次元・あるいはもっと多くの軸ができる。その場合、ある特定の軸において対立が発生して敵・味方の関係ができた場合に、その軸の反対側に持っていけばよい、と単純には収まらない。その場合、はたして「敵の敵は味方」といえるのか。

ときには、ある軸において対立していても、別の軸における利害関係の一致が重要ということも考えられる。すると、そっちを優先して、一見したところでは敵対関係になりそうな組み合わせができることもある。具体的に名前を挙げてしまうと何だけれども、イスラエルとトルコの関係なんかは、これに近いモノがあるかも。

あるいは、対立軸も何も関係なく、国際社会からつまはじきにされた国同士がくっついて、大きい声ではいえないようなことを始める、なんて事例もある。こうなると、もはや「敵の敵は味方」とかいうレベルの話じゃない。

つまり、「敵の敵は…」まではいいとしても、その先が「(共通項の多い) 味方」になることもあれば、「敵ではない」になることもあるし、ときには「敵には違いないけれども、当面の主敵よりは害のない相手」なんてことになるかもしれない。そうやって、同盟していたり、支援していたり、連携していたり、提携していたりするカップリングを比較分類・検討してみてもいいんじゃないかなあと。

それゆえに、敵抜きで味方同士として同じ価値観を共有するカップリングもあれば、共通の敵に対して同じ価値観を共有しているカップリングもあるし、共通の敵に対して対立する価値観を抱えたままで立ち向かっているカップリングもある。

ビジネスの世界でも、似たような話がある。
だいぶ昔に「マイクロソフトに対抗する」という一点で、まるでカルチャーが違う 2 つの企業が提携を大々的に発表して、新しいオブジェクト指向の製品を開発してナンタラカンタラ、という話になったことがあった。

ところが、「なんか、最近はその話って聞かないねえ」と思ったら、いつの間にか空中分解していた、なんていうオチだったりする。つまり、「敵の敵は味方」だと思ってくっついてみたら、実は「敵の敵は敵ではない」程度のレベルだったという話。

これ、個人レベルのブロゴスフィアでもありがちな話で、「俺は A 氏のことが嫌いだ」となったときに、「B 氏は A 氏のことを叩いているので、俺は B 氏に加勢する」とかいう類の話は、よく発生しそうだ。選挙の投票行動でもそう。「A 党が嫌いだから」といって「A 党と対立している (ように見える) B 党に投票してみたら、実は似たり寄ったりだった」とか。

そうやってみると、たとえば民主党にとっての社民党は「味方」とはいえなかったんじゃないかと。いくら民主党に元社会党の一群が含まれるといっても、根底にある価値観は一致していない。何も連立政権に限らず個人同士の付き合いでも企業同士の連携でも、共通する価値観を欠いている者同士が三軒長屋入りしたところで、長続きせずに空中分解するのはよくある話。現に罷免騒動なんていうことが起きている。


つまり問題なのは、「敵の敵は味方」といって盛大に支援していたら、状況の変化で関係が壊れたり、ときには本物の敵に変わってしまったり、なんていうことが起きること。

いまごろになって結果論で、したり顔で「アルカイダを育てたのはアメリカだ」なんて批判している人があるけれども、これも今にして思えば同様のパターン。ただ、その手の話を後になって批判するのは簡単でも、やった当時には「主敵をやっつけることの方が優先で、致し方ない選択だった」という言い分にも理はある。

そうなると、「本物の味方」「敵ではない」「敵には違いないが、比較的マシな敵」といった分類を明確にした上で、支持・支援のやり方を使い分けるしかないのかなあ、なんてことを考えた。つまり、本物の味方でない相手に対しては、いつ寝返ったり敵に回ったりしても、ダメージが少なく済む程度の支援にしておければなあ… という話。

もっとも実際には、相手がこちらの足元を見てくる可能性が高く、そんな簡単ではないだろうけれど。それでも、「敵の敵だから味方に違いない」と単純に考えてしまうよりはいいんじゃないの、と。

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