Opinion : 人間的ならえらい、機械はダメ、って問題 ? (2011/1/24)
 

先日、東北・上越・長野新幹線の運行管理システム「COSMOS」にトラブルが出て大混乱、という騒ぎがあった。それについて報じた某新聞の記事を見ていたら、「職人芸を機械化したのがよろしくない」といわんばかりの論調だったので、目が点になった。

といっても、明確にそう書いていたわけではなくて「そう受け取れそうな」という書き方をしていたところが、突っ込まれたときの逃げ道を残しているようで、ちょっと嫌らしい。とかいう話はともかく。

新潟中越地震で 200 系が脱線したら「スピードの追求は良くない」、今回みたいなトラブルがあると「職人芸を機械化するのは良くない」とかいう調子で、往々にして現代文明のメリットを否定するような報道が出てくるのは、一種のお約束というか、テンプレートといえるのかも知れない。そういう報道姿勢にカチンと来るのは、自分がテクノロジー大好きな人間だから、なんだろうか。


「COSMOS」のトラブルについていえば、JR 東日本の発表 にあるように、基本的にはダイヤ変更に際して発生した変更点が多すぎたことに起因している。つまり、職人芸がどうとかいうレベルの話ではなくて、スペックバグというか、設計とテストの不備に原因を求めるのが筋ではないかと思う。

この手の仕様を定めるときに、どの程度までの変更発生を見込むかは、おそらくは過去の経験次第。安全率をとって限界値を高く設定すれば、今回みたいなトラブルが生じる可能性は低くなるけれども、その分だけ開発やテストにかかる手間が増える可能性が高くなる。要はトレードオフの問題。

第一、「職人芸 > 機械化」という主張にも重大な落とし穴がある。その「職人芸」は、一朝一夕には実現できない。どんな分野でもそうだろうけれど、誰もが最初は初心者。そこからさまざまな経験を積んで、ときには修羅場をくぐるような目にも遭わないと、優れた技術とか職人芸とかいうものは身につかないのが普通なのでは。何もしないでいきなり一流の職人になれる、なんていうおめでたい業界が、どこにあるだろう ?

鉄道における運行管理や運転整理なんていうのは典型例だし、航空管制にも似たところがあると思う。でもって、件の記事を書いた記者が持ち上げる「職人芸」を実現するのに、どれだけの時間と経験が必要 ? それを実現するまでの過程で、失敗や不手際が起きることだってあるだろう。そうなったらきっと、件の記者みたいな人は「担当者のお粗末なミス」とか「不手際」とかいって叩くのがオチである。

そんなに「機械化するのは職人芸を排除するから良くない」というのであれば、まずは自分とこで CTS なんぞ使うのは止めて、昔みたいに原稿用紙と活字を使って新聞を出してみたらよいと思う。まさに職人芸の世界ですぞ。

少なくとも、機械化なりコンピュータ化なりを図れば、過去の経験に基づいて設計、あるいはプログラムした部分については (バグや不具合が出なければ) 一定以上の水準を確保できる。もちろん、コンピュータはプログラムされたとおりの仕事しかできないし、機械だって設計した通りの仕事しかできないけれども、そこは経験を積んだ人間がフォローする。それが、人間と機械の共存における基本的な姿ではないかと。

ただし、それには機械任せにしないで人間にも経験を積ませる配慮が要る。実際、普段は無人運転をやっている新交通システムで、ときどき運転士がハンドル訓練をやっているけれども、これなんか典型例といえるのでは。一度、「ゆりかもめ」でハンドル訓練の現場に装遇したことがある。

自分のフィールドだと、武装 UAV なんていうのも該当しそう。ときどき、武装 UAV とか武装 UGV とかいうと「ロボットが勝手に戦争をしている」と勘違いしている人がいるようだけれど、あいにくと、目下の武装 UAV/UGV はそこまで頭が良くない。いわゆる "man-in-the-loop" で、目標の識別や攻撃の指示はオペレーターが出している。

無論、そこで見間違い・判断ミス・情報の間違いなどが原因で誤爆や誤射が起きるることはあって、それは避けなければならないのだけれど。となるとやはり、オペレーターに経験を積ませる必要が云々という話になって、先に挙げてきた話と似てくる。

なんだかんだといっても、現時点で無人ヴィークルが勝手に攻撃の可否を判断したり、目標を識別・評価したりできる状況ではない。当事者もそのことはよく分かっている。だいたい、機械が勝手に判断して攻撃するのが良くないというなら、地雷や機雷はどうなるの ?

ここでは機械化の話について書いたけれども、「マニュアル化」「全国ネットのチェーン店」にも似た部分がありそう。もちろん、標準化されているが故の面白味のなさはあるにしても、それは極端なハズレが少ないという安心感と表裏一体。メリットの部分を無視してネガティブな要素ばかり強調するのは、不公平ってもんである。


「人間的」とか「人間重視」とか「人間が機械に振り回されない」という言葉は、一見したところでは美しいけれども、それにこだわりすぎるのはどうだろう。だいたい、現代文明の恩恵をさんざん享受しておいて現代文明の悪口をいうのって、ちと調子が良すぎると思うのだけれど。例の「コンクリートから人へ」だってそうだ。

そういえば、先日に読んだ、とある本で「○○国には、失われてしまった日本の原風景が残っている」といって持ち上げているくだりがあった。日本における都会と田舎の対比でも似たようなものだけれど、えてしてお互いに、自分のところにないものを求め合ってグルグル無限ループを回ることになるのではないかなあと。「機械化」と「人間的」という言葉の対比にも、似たところがあるかも。

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