Opinion : とにかく、上を向いて歩きだそう (2011/3/14)
 

先週、「逆境における英国的粘り強さ」について書いたら、今度は自分らがそれを必要とする事態になってしまうなんて…

東北地方太平洋沖地震の揺れに遭遇したときに、「これはえらいことだ」と思ったものの、その後に入ってきたニュースの内容はもう、想像を絶するものだった。後になってまとめてみれば、地震そのものよりも津波の被害が大きかったということなのだろうけれど、それにしても。

幸い、平素の備えが良かったのと運の良さもあって、個人的には平常モードに戻っていて、食糧備蓄の量と内容がいくらか変化した程度。拙宅の近隣地域では、スーパーの一部の棚で欠品が生じている以外は、日常の生活を取り戻せた模様。暴動も略奪も起こらないし、すでに電車の運転も (輪番停電の影響を除けば) 平常通りになっているのだから、これは素直に褒められていい話だと思う。という話はそれぐらいにして。


直接、震災の被害に遭って家族・友人・知人を亡くしたり、家やその他の資産を無くしたりした皆さんが悲嘆に暮れるのは当然のこと。自分は被災した方面に家族・友人・知人がたくさんいる訳ではないけれども、それでも皆無ではないので無事かどうかが気になっている。

それに、たまたま昨年に一日がかりで三陸沿岸を北上する乗り鉄をやっていたので、志津川も気仙沼も陸前高田も大船渡も釜石も宮古も久慈も八戸も通っている。それがみんな津波の被害に遭っているのだから衝撃的。その旅行の際に撮影した写真を見て「これがみんなやられてしまったのか…」と思うと泣けた。

では、どうするのがいいのか ? 土木とか建設とか救助の専門家ではないのだから、自分が現地に行ってできそうなことといっても思いつかないし、多分、足を引っ張るだけ。だいたい、何かするにも腕力も体力も足りない。じゃあ、自宅で大変だ、大変だといって悲嘆に暮れていればいいのかといえば、それも違うと思う。

幸いにも、ときどき余震に見舞われる以外は平常通りの生活ができるのだから、信頼できる組織に義援金を送るとか、日々の生活や仕事に励んで経済を回すのにちょっぴり貢献するとか、自分でできることを粛々と進めるしかないだろうと。だいたい、国が資金を投じて復興を進めるといっても、それには元手がいる。国が何かするときの元手は国民が納める税金だから、国の経済が縮こまれば税収も縮こまって元手が減る。

となれば、俯いて縮こまって悲嘆に暮れていたって解決にならない。上を向いて日常生活や仕事に励んで経済を回していくことが、間接的に復興支援になるんじゃないかと。それで、復興施策がある程度進んできたら、今度は被災地におカネを落とすようなことを考えればいいんじゃないかと。それが、被災しなかった土地の人間にできる、いちばん手近で確実な貢献なんじゃないかと。

なにも今回のような災害が発生したときに限らず、これは平素でも同じこと。いちいち「日本経済のために」「国益のために」なんて大それたことを考えなくても、自分が自分の目標や楽しみのために動くことは、チリも積もればなんとやらで、私益の追求が結果的に社会全体の益になること。それに、一時的にパッと熱情に駆られてビッグなことをしようと動いて、後になって「やーめた」となってしまうよりも、小さなことでも継続する方が意味がありそうだし。

なまじっか、素人が「何か役に立とう」と思うよりも、すでに現地で活動している玄人の「足を引っ張らないように」と思う方が、よほど効果的ではないかと思うのだけれど、どうだろう ? そしてユーモアと笑いを忘れずに。何事もそうだけれど「不安だ、心配だ」といって俯いて歩みを止めてしまっているだけでは解決にならない。小さな一歩でいいから踏み出さないと。

あと、今回はたまたま被災地域に発電所が多くあって、それが片っ端から停止したせいで電力供給不足の懸念が生じているから、電力消費節減に協力するのだって貢献といえる。ムダな電気を使わなければ、その分だけ必要なところに電気が回る。いまさら、自分が書き立てなくても皆さん御存知かと思うけれど。

それと、復興支援とは関係ないけれども、忘れておきたくないことがひとつ。
事故でも災害でも、いつ、どんな規模で起きるか分からない。それに対してできることといえば、過去の経験に立脚して被害の規模を想定してリスクを見積もって、可能な限りの対策を講じること。それを、「いつ来るか分からない災害のためにカネをかけるのはムダ」とかいって費用をへつるような真似をした人がいたら、そのことは記憶に刻みつけておくべきではないかと。

それから。事故にしろ災害にしろ現実問題として、過去の経験に基づいて対応するしかないのだから、過去の経験を上回るような驚天動地の事象が発生すれば、それこそ「想定の範囲外」で災厄につながることはある。でも、そのことを殊更に上から目線で非難して、何の役に立つわけ ? なこといってても解決にならないでしょ ?


それにつけても頭に来るのは、震災に便乗してデマを流して面白がっている連中や、日頃の「反原発運動」や「陰謀論の流布」のネタとして震災を利用しているとしか思えないような連中の存在。災害が起きて大変だ、気の毒だ、と表向きはいっていても、内心では「自分の主張を広めるチャンス、ラッキー」ぐらいに思ってるんじゃないかと疑いたくなる。本当にそんなことを考えている人がいたら、それこそ人でなしだけれども。

だいたい、原発反対をいう人って二言目には「代替エネルギー」を持ち出すのがお約束だけれど、太陽光発電や風力発電では原発並みの出力が出ない点についてはどう説明するのかと。しかも、晴天ばかりの上に敷地がだだっ広いネバダの Nellis AFB あたりならともかく、この日本で太陽光発電を過剰にアテにするのは、見当違いとしか思えない。

いうまでもなく、震災にかこつけて地震兵器がどうとかほざいている連中も問題外。HAARP ? そんなもん、「本当にアホくさくてあり得ない、理屈に通らないプログラム」の略だろうといっておきたい。

あと、全部が全部、悪意を持ってなされている訳ではないにしても、Twitter で殊更に「拡散希望」なんて波動砲みたいなことをいってツイートしているのは、NG ワード指定して弾いてしまえばいい、と思っている。
それでも足りないとばかりに「大拡散希望」なんていっている暇人がいるけれども、そんなツイートをする暇があったら目の前の PC を止めて節電に協力せい。いい加減な情報ばかりが拡散するのは百害あって一利なし、間違った使命感の暴走は社会の迷惑。

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