Opinion : "デマは正さなければならない" に対する、ちょっとした違和感 (2011/7/4)
 

いわゆる「モヒカン族」と呼ばれる種類の人がネット上に生息しているのは、以前からの話。それは個人の勝手だから好きにすればいいと思うけれども、個人的に最近、「?」と思うようになったのが、「悪質なデマは正さなければならぬ」とまなじりを決するほどのことなんだろうか、という話。

ただ、その話を始めるとなると、まずは「デマ」の定義から始めないと話が進まないので、その辺から。


「デマ」、正確には「デマゴギー」か。世に流布する「間違った情報」の中でも特に、意図的に、悪意を持ってなされるものを指すのだろうけれど。で、それに対してネット上で「デマを正さなければならぬ」と主張する人が現れた場合。

まず、「デマ」と称されるものに複数の種類があるんじゃないかということ。本当の意味で「間違った情報」でなければデマとはいわないのが筋だろうけれど、それはさらに「根拠が確定していて、それに立脚して間違いとされる情報」と、「現時点で判明している根拠に基づき、それに立脚して間違いとされる情報」に分けられるはず。

そして後者は、新事実、あるいはそれまで秘匿されていた事実が明るみに出ることでひっくり返される可能性がある。「世界初のコンピュータは ENIAC」という話に対して「イギリスで開発したが、存在が秘匿されていたコロサスの扱いはどうなんだ」とかいう類の話が該当する ? 身も蓋もない話を書くと、歴史や安全保障に関わる話では、この手の逆転がしばしば起きる。

今売りの「丸」で「ビン・ラディン襲撃作戦」の話を書いたけれども、これなんかも典型例。当面は箝口令が敷かれて何も話が出てこないだろうけれど、あと何十年かして情報の開示が始まったら、いきなり、それまで定説とされてきた話がひっくり返されるかもしれない。現時点で明らかにされている話にしても、どこまで本当なのかは分からない。当局の発表だから正しいかといえば、そうとは断言できない。

なんて調子でやっているとキリがないので、これくらいにして。
ともあれ、真偽のほどが確定している場合と、将来、逆転の可能性がある場合があるので、後者をデマ呼ばわりするのはどうだろう、というのが論点その一。

論点その二は、「リアルで出回っている話」と「ネット上で出回っている話」を、同じ影響度を持つものとして扱えるのかという話。
さらに細かいことをいうと、「リアルで出回っている話」「リアルで出回っている話がネット上で流布されている」「ネット上で出回っている話」「ネット上で出回っている話がリアルでも流布されている」と、発生源と広まっている場所の組み合わせで都合 4 種類の順列組み合わせになるのだろうけれど。

で、リアルワールドをソースとしてリアルワールドで出回っている話を、ネット上でのやり取り *だけで* 打ち消せるかというと、個人的には疑問。どうしても「間違いを叩き潰したい」のであれば、発生源ないしは広まっている場所を "戦場" にしないとダメじゃないかと。

もちろん、リアルワールドで言論活動を展開している人の多くがネット上でも接点を持っているから、それをチャンネルにする手は考えられる。とはいうものの、どの程度の影響力があるかは、場合と、話の内容と、話の持っていき方によりけり。仮に正しい指摘であってもスルーされるとか、正しい指摘でなくても通ってしまうとかいうこともあるだろうし。

そもそも、ネット世論とリアル世論の一致度、あるいはネット言論のリアルワールドに対する影響力がナンボのものか、というところからして、ちゃんと検証してみた方がいいのではないかと。いくらネット利用者の絶対数や比率が高まってきているとはいえ、たとえば Twitter でリツイートされた数がリアルワールドに対する影響力に比例するかといえば、そんなことはないだろうし。

そういう意味では、ときどき出てくる「ネット工作員」の話が胡散臭く感じられるところにも通じるものが。ネット工作がリアルに及ぼす影響力ってナンボのものよ、という意味で。


そんなこんなで何をいいたいのかといえば、「デマは正さねばならぬ」とまなじりを決しているものの中には、「大した影響力がない対象に対して、勝手に盛り上がってるケースもあるんじゃないの」という話。「実際に世論を大きく動かしていて、社会が進む方向を変えている論があるけれども実は間違いと断言できる」のならまだしも、「実はマジョリティからはスルーされているし、何の影響力も発揮していないのだけれど、それに対して必死になって噛み付いている」のはどうなんだろうと。

とかなんとか話が散らかってしまったけれども、要は、真偽のほどや影響力の問題に関係なく、手当たり次第に「デマは正さなければならぬ」とカッカするのはエネルギーと時間の無駄ではないのかなあ、と思うようになったという話。

それと同時に、「自分らの主張が正しくて、もっと認められるべきものである」と本気で考えているのであれば、それをどうやったら受け入れてもらえるか、ということも考えないと。少なくとも、ネット上で「デマは叩き潰さないと」とまなじりを決してばかりいたり、「大拡散希望」とかなんとかいって「トラフィックの量 = 影響力」と勘違いしていたりするのは、なんか違うように見える。

「個人的に気に入らないことをデマ呼ばわりすることで叩き潰しにかかっている」なんてケースもあるかもしれないけれど、それをいいだすと今度は「デマだというデマを流している」とかいう話になって無限ループ化したりして。ともあれ、「間違っている」と「自分の考えとは違う」の区別は付けないといかんなあ、と思う昨今。自分も気をつけないと。

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