Opinion : 長期的な神経戦への向き合い方 (2012/12/24)
 

しつこいと思われそうだけれど、今週のお題も尖閣情勢。先週に載せようと思って先送りしたもの。

相変わらず、中国の公船が接続海域を出入りしたり、ときには領海に突っ込んできたり、とうとう先日には飛行機まで乗り込んできて領空侵犯といった状況になっている。かような状況になると、どうしても強硬論や威勢のいい声ばかりが目立つし、支持されやすい。でも、ちょっと待った。


中国側としては「自国の領海に公船や飛行機を入れて何が悪い」という理屈なのだろうけれど、それならそれで、そのことをいちいち麗々しく国内向けにアピールするのも妙な話。結局のところ、挑発行為の「実」が上がっているのだとアピールして、尖閣奪取に向けたムード作りを図っているということだろうか。

ただ、そこで日本側が挑発に乗ってチョッカイを出したら、日本側の分が悪くなってしまう。とにかく、「あちらさんに先に悪者になってもらう」ことが第一なのだと主張してみたい。とにかく、こちらが悪役になるような真似や、先に賭け金を吊り上げるような真似はするべからず、なのである。

だから、挑発に乗らずに粛々と対応する必要がある。事態をエスカレートさせるなら、こちら側からではなくてあちら側から先に。こちらから先に事態をエスカレートさせたら、却って付け入る隙を与えることになると思うから。

それともうひとつ。ここのところ、毎日のように「接続水域に侵入」などのニュースが流れているけれども、そこで慣れっこになって関心を落とさないこと。つまり、これは一時的にワッと盛り上がって沈静化するものではなくて、ロングスパンの神経戦なのだと心得る必要があると思う。お洋服の流行なら、短期間だけ盛り上げて、その後は関心を失っても構わない。でも、今回の事案は話が違う。

ことに新聞やテレビのニュースは「ニュース」というぐらいで、目新しい話題だと多くの時間を割くけれども、日常的な話題になると、扱いが小さくなる。でも、扱いが小さいからといって、重要性が小さいとは限らない。

中国側はおそらく、「慣れっこになって関心をなくす」事態や「神経戦に乗せられて先に手を出してくる」事態を狙っている。だからこそ、激高せず、かといって関心をなくすこともせず、淡々と粘るのが重要。そして、長期戦に備えた人員・機材・物資のやりくりも。先に根負けした方が負けである。

あと、尖閣問題が重要だと考えるのであれば、国内で粘り強く啓蒙活動や意思統一活動をやる必要もある。えてして「友好の島にして共有すればどうだ」とか何とかいい出す人が出てくるだろうから。それだけでなく、対外的な広報活動 (というと聞こえが良過ぎるけれど、要は宣伝戦ということである) だって手を抜けない。

やたらと「日本人は○○だから」と一絡げにするのはどうかと思うけれども、どちらかというと熱しやすく冷めやすい傾向がないとは言い切れないと思うので、あえて上のようなことを書いてみた次第。

もちろん、花火が上がらずに済むなら、その方がいいに決まっている。ただし、どうしても花火が上がってしまうのであれば、最初の一発はあちらにやらせるべき。こちらが先に一発やってしまえば、それをいいようにプロパガンダに使われるはず。それは避けるべき大失態。(NG フレーズ :「一発だけなら誤射かもしれない」)

ただ、その最初の一発が来たときに自衛官や海保職員の生命が失われないように考えないといけないので、そのためにはどのように対処するべきか、交戦規定はどうするのが適切かといったことも考えて、体制を整備しておかないとまずいのではなかろうか。

「断固たる対応」とか「毅然たる態度」とかいうことを口にするのは簡単。ただしそれは、こちらの言い分だけを一方的にまくし立てることではないと思う。「毅然」とか「断固」とかいうのは、どこかの国の誰かさんみたいに「押されたら押された方に動いてしまう便所のドア」にならないで、ブレずに安定を保ち、冷静に粛々と対処し続けることではないだろうか。

それを実現するには、ある種の「鈍」な部分が必要なのかもしれない。


あと、「怖い相手だからこそ、逆にすり寄る」という心理が出てくる可能性も考えられるので、これも要注意。
どういうことかというと、「武力侵攻みたいな事態は起きて欲しくない」という心理が「攻めてくる事態なんてあり得ない」に変化して、そこからさらに、歪んだ形の親近感へと変質してしまうこと。

過去の歴史に似たような事例がないわけではなくて、ほんの何十年か前の出来事をいろいろ洗ってみると、似たような事例が出てくると思う。その轍を踏むのはまずいでしょう、ということ。

あと、最後にひとつ
「尖閣に侵攻してきたときに米軍が助けてくれるのか」なんていう議論をふっかける人がいるけれども、これはえてして、在日米軍の必要性を否定するために「助けない」という話に持っていこうとするための物言い。
そもそも、助けてもらうことばかり考えるのが筋違いで、まずは自分たちが「断固として護る」という意思を示して、可能な限りの行動をすることが必要かと思うのだけれど。それがあって、初めて「助太刀」が成り立つのである。


※2012 年の掲載は今回で終了。来年もよろしくお願いします。

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