Opinion : ジリ貧とドカ貧 (2013/4/29)
 

「ジリ貧に陥るまいとしてドカ貧に陥ることのないように」とは某元総理の言だけれども、実際のところ、これをやっちゃう人、あるいは組織は、ちょいちょい存在する。戦争で負けが込んできたときに、戦勢を逆転しようとして打った手が裏目に出まくるとか、ビジネスがうまくいかなかったときに (以下同文)

先日、某政党が新しいポスターを作った際に、これにモロに該当しそうな大ポカをやらかした。もっとも、このケースは「ドカ貧から脱出しようとして超ドカ貧になった」といえるかも知れないけれど。

といったところで、「なんでジリ貧を避けようとしてドカ貧になるのだろうか」なんてことを考え始めてしまった。


これは確実にいえるかなと思うのは、ジリ貧に陥ったり、旗色が悪くなったりしたときに、一発逆転を狙ってホームランを打とうとする傾向が強まるんじゃないか、ということ。

実際に、追い込まれたところからホームランを打って大逆転、という野球の試合はあるし、ビジネスでも似たような話はある。ただ、常にそれを狙って当たるものかというと、それはまた別の問題。
ホームランにしても 3 ポイント シュートにしても、発生する確率が低いからたくさん点が入るルールになっているのだろうし、それを狙って成功する確率はいかほどのものかと。

ましてや、戦争で旗色が悪くなってきたときに、一発逆転を狙って超兵器の開発に乗り出して、それで本当に逆転に成功した事例がどれだけあったことか。ハードウェアだけではなくて、ソフトウェア、つまり戦術や作戦についても、一発逆転を狙って奇策に出た場合の成功率について、統計を取ってみたら面白いかも知れない。

超兵器にしても奇策にしても、架空戦記小説のネタとして出てくる分には、おおいに盛り上がって好ましい。でも、それを現実にやるとなると話は別。

こういうことを書くと、「でも、相手と同様に正攻法で勝負していたら勝ち目がないし…」という反論が出てくるのはお約束。仰せの通り、その通り。でも、正攻法で勝負している分にはジリ貧で済んだものが、一発逆転を狙ったせいでドカ貧になった、なんてことにならないだろうか。

冒頭で言及した某党のポスターなんか、ドカ貧に陥って「なんとかしなければ」という意識ばかりが空回りして、周囲の状況、あるいは「これをやったらどういう目で見られるか」という視点がすっぽ抜けた結果じゃないかと思う。

と書いたところで思い当たった。ジリ貧から抜け出そうとしてドカ貧に陥るのは、置かれている状況を客観視できなくなり、そこで希望的観測や願望にばかり頼り、そのことと「一発逆転狙いの飛び道具に対する希求」が融合した結果なんじゃないかと。

普通、こういうのは「溺れる者は藁をも掴む」という。ただし、掴んだ藁が根腐れした藁だったのに、そのことに気付かないでしがみついてしまったということ。

実のところ、「希望的観測や願望」に頼るだけでも十分にドカ貧に陥りそうだけれど、そこからさらに傷口を広げるのが「一発逆転の飛び道具頼み」なのかも知れない。本当にそんなことができる飛び道具はそうそうあるモンじゃないし、ことに「一発逆転を狙った超兵器」になると、そのために貴重な時間と人材とリソースを食いつぶすことになりがちだし。


兵器・武器の世界だと、「これが登場したことで大逆転が起きる」といえそうなものは、せいぜい核兵器ぐらいかも知れない。少なくとも、破壊力も、その後に残す影響も、他の爆発物と比べると桁違いに大きい。

その核兵器にしても相手次第・状況次第のところがあって、イスラエルや日本みたいに国土が狭くて縦深に乏しい国と、だだっ広い国土に人口や資産が分散している国とでは、影響は違うと思う。ただ、砂漠が主体の国で、面積ばかり広いけれども人口は一部のエリアに集中している、なんていう場合には影響が大きそうであるけれど。

そういう意味では、北朝鮮が石にかじりついてでも核開発を止めようとしないのは、これまた「一発逆転狙い」のところがあるのかも知れない。自国を「核保有国」として認めさせることに形勢逆転を賭けているわけだから。だからこそ「核保有国として認めろ」といい続けてるんじゃないかと。

今のところ「平和目的だ」と言い張っているけれども、イランだって似たようなモンじゃないかと。

でもどうだろう。その一発逆転狙いの陰で失っているもの、いろいろあると思う。そういう状況を客観視できているかどうかはともかく。

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