Opinion : 狭量な趣味人 (2013/5/27)
 

先日、某所の線路脇で撮影をしていたら、通りがかりの人が声をかけてきた。ときどき、こういうことがあるのだけれど、同じ場所で同じようなことをしているのに、互いにムスッとして口もきかない、というのもどうかと思うし、話をするのはウェルカム。

そういえば、某駅では警備員の人といろいろ話をしたこともあった。こちらとしても、どういう意図があるかは分かっていてもらう方が気が楽だし、危なっかしそうな人だと思われたくもないし。だいたい、警備員の人が来たからといって避けて通ったら、それこそ不審者である。

おっと、閑話休題。
その、冒頭の話に出てきた人なのだけれど、話をしていたら、「なんか個人的な意見の押しつけが強い人だなあ」と思った。被写体の選び方にしても、機材の買い方にしても、なんにしても。


別に、自分と違う意見を持つ人がいるのは構わない。そもそも「趣味」というのは自分の楽しみのためにやるもので、何を楽しいと思うか、何に興味を持つかは人それぞれ。それに対して投入できるリソースも人それぞれ。

だから、特定の流儀以外は認めない、なんていうのはナンセンス。「人それぞれ」はいいのだけれど、それを他人にまで押しつけないでよ、とは思った。その理由は上に書いた通りだから繰り返さない。

もっとも自分の場合、鉄道撮影が「趣味」といいきれるかどうかは怪しい部分があって、実のところ、「仕事で必要になる可能性があるからストックしておこう」という部分が結構大きい。だから、純然たる趣味でやっている人と比べると、追っかける対象が違っていることは多そうである。

実際、常磐線の那珂川橋梁近くで張っていたら同好の士がゾロゾロ、ということがあった。ところが、E501 系を狙ったのは自分だけで、他の人はみんな、その前にやってくる貨物狙いだった、なんて笑い話 (?) もある。

個人的な好み、あるいは流儀を他人に押しつけがましく語り、「それ以外は認めない」という態度を見せるのもどうかと思うけれど、個人的な好み・願望・思い入れが強くなりすぎて、それと相反する話が出てくると見境なく喧嘩を売って回ったり、「デマだ」と食ってかかったりするようになると、さすがにどうかと。

そうなると、「真実を広める」とか「間違いを正す」とかいうあたりが目的なのか、それとも喧嘩を売って勝つこと自体が目的なのか、よく分からなくなってしまう。


「自分の好み・信条が正しい」「誰それよりも自分の方が良く知ってるぞ」といいたてる類の話はどんな趣味の世界にもつきものだろうし、今に限らず、昔からあった話。ただ、昔と今とで違うのは、それが表にバンバン出てきて喧嘩の種になるかどうか、じゃないかと思う。

それはいうまでもなくネットの普及によるもの。もちろん、ネットの普及によって得たメリットはたくさんある。「同好の士」を見つけたり、情報交換したりするのは昔と比べるとすごく便利になったし、公式発表データの収集なんかも楽になった (特に海外)。ただしその一方で、ネガティブな影響もいろいろ生じていると思う。

その典型例が、人との関わり方。たとえば、先に書いたような「個人的な信条や好みの押しつけ、異なる信条や好みの対する拒絶反応」といったものは、以前なら当人とその周囲にとどまっていたけれども、今ではネットを通じて全世界に拡散可能。(本当に拡散しているかどうかはともかく、それが可能という意味)

あと、昔からネット上での論争につきものな問題だけれど、リアルで面と向かっていたら「まずやらないだろう」という過度に攻撃的な態度や言動は、ネット上での発言の方が目立つように思える。リアルの論争よりもネット上での論争の方が荒れやすいのはパソ通時代からずっと続く話ながら、ことに最近ではそれが過激になっているような印象がある。

それに油を注いだのが、もともと議論に不向きなツールなのに、至るところで議論の場になっている Twitter というやつ。

もっとも、これは勘定して統計を取ってみた訳ではないし、そもそも「過度」と「過度でない」を区別する閾値をどこに設定するかでモメそうではあるけれども、議論になったときにネット上での方が荒れやすい傾向があるのは否定できないはず。

あと、これもネットの普及で目立つようになった話かも知れないけれど、「知らない」「初心者」を小馬鹿にする人の存在が目立っていないか ? とも思う。どんな世界であれ、敷居を上げすぎるのはどうかと思うし、むしろ初心者を引っ張り上げるぐらいの雅量があれば。それには、攻撃的な物言いは逆効果。

趣味とは根本的に自己満足のためのもの。とはいえ、狭量さ、押しつけがましさ、喧嘩っ早さがやたらと目立って殺伐としてしまうのは、あまり好ましいとはいえない。それを完全に消滅させることはできないにしても、せめてネット上で他人と接する場面では、もうちょっと紳士的にやれないものかねえ… と思うことが多くなってきた今日この頃。自分も気をつけないと。

P.S.
そういえば。趣味の世界に限らず、日常的な話やニュースに関しても「毒を吐く」と称する類の発言が結構あるけれど、それも程度問題ではないかなあと思うことがある。それで本当にスッキリするのかなあ。

Contents
HOME
Works
Diary
Defence News
Opinion
About

| 記事一覧に戻る | HOME に戻る |