Opinion : 被迫害意識のエネルギー (2013/8/5)
 

新手のネットサービスが登場して脚光を浴びれば、ユーザーが増える。ユーザーが増えれば、活用する人も事件を起こす人も出る。

そうなるとしばしば「マスコミは○○を舞台にして事件が起きたことを引き合いに出して批判するが、怪しからん。○○のおかげで人助けになったり、人命が救われたりした事例もある」と批判する人が出てくるのは、もはやお約束の伝統芸能みたいなもの。

最近だと LINE が該当するけれども、根本的にはネットそのものについて、同じ図式が成り立っている。そしてワンセットのようにして出てくるのが「マスコミは、自らの存在を脅かすネットを敵視して、潰しにかかっているのだ」という言説。

「潰しにかかっている」という話がウソか本当か知りませんよ。ただ、そういう主張をする人はいるよね、という話。


この手の話を見ていて思ったのは、「被害者意識のエネルギー」「被迫害意識のエネルギー」とでもいえそうな現象だなあということ。

自分自身、あるいは自分が入れ上げている対象、あるいは自分が活用しているものなどについて、「潰しにかかってきている奴がいるが、そうはさせるか」という図式を描き出して、それがある種のモチベーションというか、エネルギー源になっているのではないか、ということ。

あれ、どこかで聞いたような図式だなあと思ったら、「自分が反○○運動について言及し始めた途端にテレビ中継が打ち切られた」とか、「自分は反○○運動に関わっているために権力に目をつけられていて、そのせいでネット接続ができなくなることがある」といった類の主張をする人と似ていると思う。

向いているベクトルも「悪役」の対象もだいぶ違う… というか、正反対といっていいぐらいだけれど、「被迫害意識のエネルギー」というところでは共通点がありそう。そういえば「軍ヲタは右からも左からも叩かれる」という言説もあって、それも似たところがあるような。

ベクトルがどっちを向いているにしろ、「既存の権力や主流派などから敵視され、虐げられたり迫害されたりしている」という言説を本気で信じてしまうと、それって、内向きに固まって団結力や信念を強める方向に働きやすいんじゃないかと思う。

特にまずいのは「内向き」。もちろん、同じような好みや見解を共有している者同士で固まっていれば、ぬるま湯だし、楽ちん。そして、自分達の主張や好みに合うような言説を拾い出したりつまみ食いしたりして「心の支え」にするのは、ことにネット上ではまことに容易。

その極めつけが「マスコミは真実を隠蔽している、真実はネットにある」という類の、いわゆる「ネット de 真実」という考えに凝り固まってしまっている人。「自分が見たいと思っているネタを拾いやすい」あるいは「拡散の速さに起因する付和雷同性」といった特質が盛大に影響した典型例といえる。

でも、そうやって仲間内でだけ内向きに固まってしまうと、なおのこと、ネット世論とリアル世論の乖離が進みはしないかなと。そんなことを考えてしまった。ことにネット上の言説って、いったん誰か「悪役」が決まると、雪崩を打ったように追従する傾向があるから、その傾向がますます「内向き」に拍車をかけることもあり得る。


「自分達は理解されていない」「自分達は虐げられている」「自分達は迫害/敵視されている」ばかりいっていても、多分、事態は解決しない。なんだけれども、実はこういう意識を共有している方がエネルギーを生む一面があるから、外向きに理解を求めるという動きには、なかなかつながらないのかも知れない。

むしろ、「被迫害意識のエネルギー」故に「理解を求める」どころか、はるかに攻撃的になって「喧嘩を売っている」なんてことがあっても不思議はなさそう。なんかそれってカルト宗教ちっくじゃないだろうか。

いかに「自分が正しい」「自分が事実・真実を広める」と息巻いても、ネガティブなエネルギーに基づいて攻撃的にやったのでは逆効果、ではないのかなあ ? その方がエネルギーが湧きやすい傾向はあるかも知れないけれど。

そういえば、この種のエネルギーって国家でも見受けられることがある。具体的にどこの国とはいわないけれど。そうなると、制裁などで追い込んでもなお、逃げ道や対話のチャンネルを残すことは必要なのかも。先方が「爾後相手にせず」といいだしたのでは話にならないけれど。

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