Opinion : "真っ暗営業" の限界 (2013/12/9)
 

2 年ばかり前に「恐怖感マーケティング」という言葉を使った。読んで字のごとく、恐怖感を煽ることで自らの主義・主張などを売り込もうとする手法のこと。

ところが先日、Twitter でのやりとりの流れの中で突発的に「真っ暗営業」という言葉を思いついた。もちろん「枕営業」のパロディで、「日本は終わりだ」「○○オワタ」「お先真っ暗だ」などと煽る宣伝手法のこと。確か、どこかの経済評論家の人が得意技にしていたような。

と思ったらそれだけではなくて、特定秘密保護法に反対する場面、あるいは反対したのに成立してしまった場面で、やはり、この「恐怖感マーケティング」や「真っ暗営業」が出るわ出るわ。なんですって、「特定秘密法案が成立した本日は暗黒の日」ですって ? そういえば、「民主主義が終わった」なんていっている人もいるらしい。


恐怖感や危機感を煽るのは、一見したところでは、すごく有効な手法に見える。でも、そこには、意外な落とし穴があると思う。それは何かというと…

まず、恐怖感や危機感というのは、あくまで相対的なものだということ。つまり、「恐怖感マーケティング」や「真っ暗営業」で煽り立てる恐怖感や危機感を上回る恐怖感・危機感・不安感といったものが別にあれば、そっちの方が勝ってしまう。すると結果として、「恐怖感マーケティング」や「真っ暗営業」は成り立たなくなる。少なくとも支持は減る。

特定秘密保護法案についていえば、たとえば「政府が何でもかんでも秘密にするリスク」と「日本をめぐる安全保障情勢に関する漠然とした不安感」を天秤にかけて、どっちが勝ちますか、という話になる。これはあくまで一例だから、他の話も出てくるかも知れない。

それと、もうひとつは狼少年の罠。つまり、恐怖感や危機感を煽ったのに、実際にはその通りの事態が生起しないと「狼少年」状態になり、そのうち相手にされなくなる。

たとえば、特定秘密保護法案に関連して「日本が戦争をする国になる」とかなんとかいう類の主張をする向きがいた。でも、これって中曾根内閣の「防衛費の対 GNP 比 1% 越え」のときにも、その後の「PKO 協力法」のときにも、その他の安全保障関連のマターが俎上にのぼったときにも出てきた主張で、いい加減に使い古されている。しかも、過去に何回も持ち出されて、その度に空振りに終わっている。

というと「これまでは空振りだったけれど、先のことは分からない」と反論されそうである。でも、それをいうなら、物事が反対の方向に触れる可能性についても「先のことは分からない」といえるわけで、「過去の実績」という観点からすれば、説得力はあまりない。それに、「そうなるかも知れない」という仮定の話だけでは、「過去の実績の欠如」と比べると説得力に欠ける。

ただし問題なのは、いったん狼少年化すると、本物の警告まで相手にされなくなる可能性が高くなること。それを避けるためにも、警鐘というのは肝心なところで場とタイミングを選んで出すべきで、連呼・常用すべきものではないと思う。使いすぎれば飽きられる。


blog のコメント欄で先に書いてしまったけれど、特定秘密保護の問題についていえば、問題の本質は「秘密指定の濫用をいかにして防ぐか」にある。だから、そこに的を絞って、「どういう形で秘密指定を行うか」「それを誰が、どういう形でチェックするか」「秘密指定を解除する条件はどうするか」といった分野を攻めるべきだった。

そうすることで、本当に秘密にすべき情報の保護と、可能な限りの情報を公開するという「知る権利」の両立に近付けられる。「秘密指定を濫用する可能性がある → だから秘密保護法そのものに反対」という all or nothing 論法では、落としどころを見つけようとしても見つからない。

さらに、そこで「○○で逮捕されるという恐怖感マーケティング」だの「これが成立すると日本は暗黒になるという真っ暗営業」をやられたのでは、当事者以外は却ってひいてしまうのではないか ? それは、秘密保護をめぐるまっとうな議論の足を引っ張らないか ?

あと、「条件付き賛成」や「懸念がある」という人まで十把一絡げに「反対」にカウントするのも、情報の扱い方としては問題がある。そういう、一種の情報操作を行う人が「権力者や役所の情報操作」に文句をいえる立場だろうか ?

というわけで、ことに特定秘密保護法の問題については、反対運動のあり方、あるいはそこで用いられた手法に問題がありすぎたと思う。そんな調子では、却って、問題のある秘密保護法制ができてしまうと思うのだけれど。

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