Opinion : いつまでも あると思うな 今あるもの (2013/1/6)
 

Twitter でなにやら話題になっていたので、上野駅のこれを見に行ってみた。


時間帯からいって、下り「あけぼの」が規制対象になっているのは明白だし、場所を考えれば、ホーム端から機関車を撮ろうとする人を規制しようとしているのも明白。偶然なのかなんなのか、プレハブが置かれていてホームの幅が狭くなっているので、規制しやすい状況になっているのは、もっけの幸い ?


とはいえ、規制したくなるのは分かる。まずは列車の安全・安定運行が先決なのであって、それを妨げようとする要因があれば排除したくなるのは当然の反応。

単に人だらけになって危ないというだけでも問題なのに、さらにそこで罵声大会になったのでは救いようがない。しかも、撮影者同士ならまだしも、無関係の利用者や駅員に罵声が飛ぶような羽目になれば、もう論外。

もっとも、この手の罵声大会って今に始まった話ではなくて、1970 年頃の「SL ブーム」の頃も似たようなものだったと聞く。ただし、だからといって運転士や機関士をヒヤヒヤさせるような騒動、あるいは罵声大会が許容されるものではない。

それに、「悪質なのは一部の人間で…」とか「一眼を持っている連中よりも、スマホやコンデジの連中の方がタチが悪くて…」とかいってみたところで、結局は言い訳。問題は、現に騒動になっている、あるいはなりかねないということ。

昨年 12 月に青森で、これから自分が乗る「あけぼの」の止まり写真を撮ったときには、人がそれほど多くなかったし、雰囲気もマッタリしていて気持ちよく撮れた。その青森駅ですら、昨今はホーム端の立ち入り規制が厳しくなったようだし、青森がそれでは、上野や大宮はどんな騒ぎになることやら。

しかも、まだ 12 月や 1 月の段階でこれだから、これから 3 月の「臨時化という名の事実上の廃止」に向けて、さらにヒートアップするのは必然。そうなれば、今のうちから規制をかけてしまったのも宜なるかな。

ただ、青森駅 2 番線のホーム端 (3 番線に入る「あけぼの」や「はまなす」を撮れる) だったら、いっそのこと一人一回 1,000JPY ぐらいで「有料お立ち台」として売り出したらどうだろう、なんてことも考えてしまった。


そもそも、この手の騒動が起きるのは、いわゆる「葬式鉄」が主因といえる。切迫感というか、せっぱ詰まった心情で「なんとかして撮らないと」という意識が、マナーだとか常識だとか周囲への迷惑だとかいう話を押しのけてしまうのではないかと。

では、どうしてそういう意識に見舞われるのか。

仮説その一。今あるものはずっとある、と思って日常的に存在するものをスルーしてしまい、普通ではない被写体 (いわゆるネタ) ばかり追いかけていると、「ずっとある」と思っていた被写体が消えるとなった途端に「撮ってねえ」と慌てる。

仮説その二。手持ちのストックがあるかないかに関係なく、いざ「なくなる」と聞くと撮らずにいられなくなる、いわゆる群集心理というか付和雷同というか。

どちらにしても、行き着くところは心がけの問題なのかも知れない。今あるものはずっとある、と思うから、いざなくなると聞くと慌てる。ローカル線の廃止問題でしばしばみられる現象として、普段は乗らない人でも、いざ廃止となると「地域の足を守れ」といいだすことがあるけれど、それと似たところがあるかも。(普段から利用している人がいうなら分かるが)

「いつまでもあると思うな親と金」なんてことをいうけれど、なにも「親と金」に限らず、何でも「今あるものがずっとある」と思うべきではないし、なくなる事態への備えを怠ってはいけないんじゃないか。日常的にあるものこそ大事にしなければならないんじゃないか。なんてことを考えた年明け。

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