Opinion : 入院中に感じたこと、いろいろ (2014/9/8)
 

すでに blog で明らかにしていた通り、6 月初頭から 3 ヶ月ばかり入院させられていた。最初は「2 週間」のはずだったのが「3-4 週間」に延びて、それがいろいろあって、いつのまにやら「3 ヶ月」に、とズルズル延びてしまったので、関係各方面には御迷惑をかけまくってしまい、なんとも申し訳ない次第。

それだけでなく、そもそも本人もしんどかった。何がしんどいかといえば、前途の見通しがハッキリしない中で、心を折らず、気力を維持すること。


「現状はこうで、これからこういう方針で治療を進めていく。その際の見通しはこう、考えられるリスク要因はこれこれ」ということが分かっていれば、多少はマシ。もちろん、予想が外れることは多々あるにしても、それはまた別の話である。

ところが、それがなくて目先の話しかされないと、「いったい何時になったらケリがつくのか」と不安になってしまう。たぶん、なまじ見通しを示してしまうと、その通りにいかなかったときに文句をいう人がいるんだろうなあ… と思ったものの、個人的にはなんとなく釈然としないものがあった。

といったところでふと思ったのが、他の分野でも似たような話ってあるよね、という流れ。たとえば、戦地に派遣された兵士が「派遣されっぱなし」で、いつ故国に帰れるのか分からないなんてことになれば、そっちの方がさらにきつい。

それを考えると、ローテーションを確立して「半年経ったら帰国できる」「何回の出撃を記録したら帰国できる」と明確に見通しが立つ形にすることが、現場の兵士にプラスの効果をもたらすことは容易に想像できる。

といっても「予定は未定にしてしばしば変更される」業界のことだから、当初の予定よりもローテーションが延びてしまうことは、よくあること。最近でも、イラク情勢を受けて、米海軍の両用即応群がデプロイメント延長の憂き目に遭っている。それでも「何も見通しがたたないよりマシだろ」と思った。


あと、病院に限ったことではないけれど、生活環境がガラッと変わると、何かしら「スイッチを切る」ことを覚えないと身がもたない部分があるなと。

なにしろ、大部屋にいて周囲の人に丸聞こえの状況下で「昨日はウ○コが何回出ました」と看護師さんに申告する (正確にいうと、訊かれるので答える) のだから。こんなの日常生活ではあり得ない話である。

そういえば、入院中もなるべく身ぎれいにしていようと思ったものの、さすがに毎日風呂に入るわけにも行かず、何日か間が空いてしまうのが普通だった。その気になれば毎日も不可能ではなかったかも知れないけれど、かなり多数の人が 1 ヶ所しかない浴室を共用しているので、遠慮した部分がある。これも「スイッチを切る」ことが求められた一例。

細かい話を挙げ始めるとキリがないけれど、平時の生活をそのまま持ち込もうとすると壁にぶち当たるのは必至で、そこで「スイッチを切ること」と「柔軟な適応力」が求められるなぁ、ということを実感した次第。


怪我や病気を抱えているから入院させられるのだし、さらに周囲の環境も変わるから、なにかしらストレスが溜まったりイライラさせられたりすることはある。ただし自分の場合、病院まで仕事を持ち込んだことが精神面での平衡を保つ役に立ったのは確か。

もっとも、こんなことをいえるのは、もともと好きな分野・興味のある分野を仕事のタネにしていたからで、これが普遍的に通用する話だとは思えない。あくまで個人的な話。でも事実でもある。

ただ、自宅に山になっている資料を参照できないのには足を引っ張られたし、1 台しかないノート PC がぶっ壊れたらどうしよう、と本気で心配したのも事実。データの保全には気を使っていたけれど、ハードウェアが、あるいは OS がダメになったら洒落にならない。最近では病室にノート PC やタブレットを持ち込む人が少なくないと思うけれど、似たような不安に駆られる人っているんだろうか。

ともあれ、今まで大きな病気や怪我をした経験がなかっただけに、盛大に利息を付けてツケを払わされ、過去になかったような経験をいろいろした。

そしていま考えているのは「今回の件も何か原稿のネタにならないだろうか」ということ。身の回りで起きたことを何でも原稿のネタにしようとするのは、物書きのサガみたいなものである。

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