Opinion : 自分で自分を "盛って" しまうということ (2016/4/4)
 

芸能ニュースとか、その他のゴシップ系のニュースって興味がない (正確にいうと、そこまで手が回らない)。それでも、先日の「経歴詐称がばれた人がいるんだって ?」ぐらいの話は耳に入ってくる。ニュース系の Web サイトを見ていると、見出しが並ぶ中にその手の話が入っているから。

ただし「ショーン K って誰 ?」という反応とワンセットで (本当に知らなかったのだ)。「スーパー K」なら聞いたことがあるけど、それは偽札だ。偽りがあるところはどちらでも同じだけど… と、それはそれとして。


これに限らず、芸能界や政界では時折、「経歴詐称」とか「学歴詐称」とかいう話が出てくるらしい。なんでそんなリスクを冒すのかと思ったけれど、理由は二種類あるように思える。

まず、詐称しないと現在のポジションとの整合性がとれない場合。つまり、何かの仕事をするためには、それに対応する「しかるべき経歴」がないとダメ、というケース。
そういえば、アメリカでロー スクールを出てないのにロイヤーを名乗ったら、これは怪しまれそう。詐称した贋ロイヤーの事案が本当にあるかどうかは、知らない。

もうひとつは、見栄というか虚栄心のために、下駄を履かせてしまうケース。「えー、○○の出身なんだ、すごーい」みたいな反応を期待して。自分で自分の経歴に下駄を履かせるのは、いってみれば自分を相対的に持ち上げる図式か。

同じような相対的比較でも、自分に下駄を履かせる代わりに周囲を引きずり下ろそうとする人もいる。周囲の同類や同業者、あるいはライバルがいかにダメなのかをアピールすることで、相対的に自分を高みに置こうとする図式。

でも、周囲にいる同類のことを「屑」「低学歴」「低所得」「民度が低い」「情弱」と罵倒の限りを尽くしていたら、実はそれをいっている本人の性根がくさっていると分かってしまった、なんてこともあるから笑えない。

これはなにも個人レベルに限った話ではなくて。たとえば、どこの国にも、自国の軍事力の優越性を主張するために近隣国、あるいはライバル国を貶す商売に走る人はいる。一度限りならともかく、見慣れてくると、結果的に貶しているのか、貶すことが目的なのかの区別はつきそう。

1991 年の湾岸戦争のときに「E-3 が見つけられなかったイラク機がいる」といって、暗に E-3 の探知能力に疑義を呈するようなことをいった国があった。でも、そこで具体的に証拠を出してきたわけではなかった。もう消滅した国のことだから遠慮なく書いちゃうけど。

そういえば。自分のアピールをする代わりに他人の悪口を並べ立てて引きずり下ろそうとしている… って、どこかで聞いたような話だと思ったら、永田町界隈では日常的に起きている話だった。


とどのつまり、他人との相対比較、あるいは他人から見てどうなのか、という尺度に頼っている限り、下駄を履かせる誘惑、あるいは周囲をこき下ろす誘惑からは逃れられないのかもしれない。

特に Twitter だと、朝から晩まで毎日のように「他人降ろし」に血道を上げている人がいるけれど、自分が同じことにはまらないように気をつけないと。そういうのはスルーする… というより最初から見ないのが、心の平安を保つ秘訣。

他人は他人、自分は自分、と割り切り、相対比較や周囲からの評価ばかり気にするのは止める。それができれば理想的ではあるけれど、実現するのは簡単ではなさそう。

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