Opinion : テロ組織を敵に回すからいけないのか ? (2016/7/18)
 

どこかでテロ事件が起きて日本人の犠牲者が出る度に、「○○するからテロリストに攻撃されるんだ」と主張する人が出るのはお約束の展開。先日のバングラデシュでのテロ事件も同様。

すると「日本人 "だから" 攻撃されたわけではなくて、日本人 "も" 攻撃されたのだ」とか「攻撃されたくないからといって、テロリストの言い分に屈していいのか」という反論が出るのも、これまたお約束通りの展開。自分もまた、同趣旨のことをどこかで書いた記憶がある。

だからその辺の話は繰り返さないことにして、今回はちょいと切り口を変えてみる。


仮に、バングラデシュでのテロ事件が ISIL (Islamic State of Iraq and the Levant) がらみの誰かさんの仕業だったとする。そして、ISIL が「自分らに敵対する連中を相手にテロを起こした」のだとする。

普通、自分らの味方に対してテロを仕掛ける人はいない。

「とにかくテロリストに襲われなければいいのだ」という観点からすれば、「ISIL に敵対するような立ち位置をとるな」という考えに至る人がいても不思議はなさそう。ただしそこにはひとつ落とし穴がある。それは、「敵対しなければ襲われない」と断言できるのかという問題。

「敵」の対義語は必ずしも「味方」であるとは限らず、「敵ではない」あるいは「敵ではないが味方でもない」という状態もあり得る。「敵対しなければ攻撃されない」という考え方には、こういう視点が抜けてるんじゃないか。敵じゃなければすべて味方だと思ってはいないか。

そもそも、いつも書いているように、「話せば分かる」ような人は、最初からテロになんぞ走らない。話し合いなんていう迂遠な手段では我慢できないから、恐怖を広めて自分の主張を押し通そうとしてテロに走る。

そういう連中が、果たして「敵ではない」というだけで攻撃対象から外すものなのか。自分らの味方に… というか、もっと正確にいうと「自分らに跪いて従わなければ敵だと認定する」ということはないのか。

なにも ISIL に限らず、「味方でなければ全部敵」という発想をする人や組織は存在する (その裏返しが「敵対しなければ攻撃されない」となる)。その考え方を敷衍すると、「ISIL を敵に回すようなことをしなければ襲われない」という発想は瓦解する。


もうひとつ思ったのは、「日本政府が ISIL を敵視する政策をとったから日本人が襲われた。その政策はおかしい」という主張の裏に、「とにかく日本人さえ襲われなければいい」という考えが透けて見える、ということ。

そこには、ISIL みたいな連中の存在を認めていいのか、ISIL のやり方を認めていいのか、という論点が欠けている。

そして、この手の論法には「武器輸出反対論」に通じるものがある。以前から何度も書いているように、日本が武器輸出をやらないというだけでは、世界平和にまったくつながらない。

日本が売らなければ、他の誰かが売るというだけの話である。だから「武器輸出反対」と叫ぶことで手に入るのは「日本の手は汚れていません」という自己満足だけ、ということは過去に何回も書いてきた。

その「日本だけが安全で、手が汚れていないポジションにいられればいい」という考え方には、「日本人が襲われなければいい」という考えに通じるものがあるように思えた。どちらも局地的解決にはなるかも知れないけれど (いや、それすら怪しい)、全体的解決にはならない。

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