Opinion : ネタをネタというだけで終わらせてはもったいない (2016/10/3)
 

先日、何かの甲種輸送を狙って弁天島あたりの撮影地に人が集まった挙句、建物の屋根をぶち破って警察沙汰になった人がいた、と聞いた。なんかもう、行くところまで行っちゃった感がある。

「そんな騒ぎばかり起こしていると、善良な趣味人が迷惑する」とかなんとかいう類の話は、すでにさんざんいわれているから、措いておく。当たり前のことだから、いまさら繰り返すまでもない。


これも以前に書いたような気がするけれど、「趣味人が、珍しいモノばかり追いかけるイベント屋になっちゃっていいのか」という問題はある。実のところ、数十年前に白井昭氏が指摘されていたことだけれど、鉄道趣味界の体質は数十年経っても変わっていないらしい。

たぶん、民航機でもミリタリー全般でも似たようなものだと思うけれど、この分野にも「バスタブ曲線」がある。

つまり、出始めで数が少ない、目新しいときには見物人や撮影者がいっぱい集まるけれど、数が増えて「当たり前」の存在になると、見向きもされなくなる。でも、数が減って引退が間近になると、また見物人や撮影者がいっぱい集まる。

特に何もなく、普通に導入とリプレースが進めば、基本的にはこのバスタブ曲線のパターンになるけれど、たまに例外が発生する。

しばらく前、ある航空機メインのカメラマン氏とお茶していたときに「スペシャル マーキング機みたいなのは、みんな撮ってる。そうじゃなくて、普通の機体を丹念に撮り集めておくと、後になって価値が出てくるんじゃないか」という話になった。

ホントその通り。たとえば、いきなり事故で減耗することがある。N700 の X59 編成 1 号車みたいなこともあるから油断がならない。日常的な風景、いつでも見られる風景だと思っていたものが、ある日突然、自然災害で粉砕されることだってある。

そういえば、放火事件の後で「X59 編成は、まるごと廃車」ってガセネタを流してた人がいたけど、今はどう思っているんだろか。

最近になって撮影者が増えているらしい小田急 LSE にしても、もう以前の赤白塗装の写真は撮れない。あと、現行の塗装になった後でも窓枠の色が変わっているから、それだってもう撮れない。いつでも撮れると思っていると、こういうことが起きる。

だから、常に「バスタブ曲線」通りに進むとは限らなくて、「日常」だったものがいきなり「非日常」になることもあり得る。「いつでも撮れるし、みんな同じでつまらない」と思っていたものが、実は細かい差異をいろいろ含んだ形態分類のパラダイス、ということだってある。


個人的には、引退しそうな車両は騒ぎになる前に察知して押さえておけ、という主義。でも、それをやろうとすると、車両の代替計画に関する予備知識や洞察が必要になるから、これは意外と難しい。実際、読みが外れることだってある。

「珍しい車両を撮ったー」といって喜んでいても、それだけでいいのか。何がどう珍しいのか、裏側にある事情やメカニズムはどうなっているのか。そこまで思索を巡らしたり調べてみたりしたって、バチは当たらない。

たとえば米タン。タキ 1000 のどてっぱらに「JP-8」と書かれているのが米タンだという話なら、知っている人は多い。その米タンが、毎日走るわけではない、やや貴重品であることも知られている。

でも、旗印の JP-8 とは何なのか。ジェット燃料といっても種類がいろいろあるが、その中のどれなのか。どうして横田だと JP-8 なのか。どうして横田に向かう米タンの発地が安善なのか。その前の流れはどうなっているのか。

さらに書けば、米タンが 1 本走って運ぶ燃料でどれぐらいの飛行機を飛ばせるのか、米タンの運行状況と横田のオプテンポの関連はどうなのか。そこまで突っ込むと、ちょっとしたオープンソース インテリジェンスの様相を帯びてくる (?)

とっかかりが「ネタ」だったり「イベント」だったりすることまで否定するのは、どうかと思う。でも、それ「だけ」で終わったらもったいない。その先には、のめり込むと終わりがない冥府魔道が控えていることもある。それを極めるのも面白いかもよ、とはいいたい。

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