Opinion : 市中に広まってきた (?) 弾道ミサイル話 (2017/6/26)
 

先日、阪急神戸線に乗っていたら、近くにいた父娘と思われる二人連れ (夫婦にしては歳が離れていたように思える。間違ってたらゴメン) が、北朝鮮のミサイルがどうととかいう会話をしていた。

基本的に、女性側が訊く役、男性側が答える役。商売柄、ついつい耳がダンボになってしまったわけだけれど、答える側の内容については、それほどトンチンカンな話はしていなかったように思う。

イージス艦がどうとかいうやりとりを耳にしつつ、「ああもう、こっちは先日、SM-3 に関するブリーフィングに出て話を聞いてきたばかりだよ」と内心でブツブツいっていたのは秘密である。

で、自分達が住んでいるとおぼしい街に着弾するようなことがあるんだろうか、と心配していた御様子。そりゃまあ、「非核平和都市宣言」をしたからといって、何も降ってこないという保証はないし。


第三次世界大戦が発生して核ミサイルが飛び交い、世界終末に至る恐怖というのは、冷戦期を経験していた人なら理解してもらえると思う。まだ自分が生まれる前の話だけれど、キューバ危機をライブで経験したような方なら、なおさら。

ただ、「冷戦おじさん」として書かせてもらうと、冷戦期の東西対立というのは確かに熾烈なものがあった。ただし同時に、そこにはある種の「秩序」「暗黙のルール」といったものもあったように思う。

全世界を複数回破壊できるだけの核兵器を双方の陣営が溜め込んで、相互確証破壊理論でもってピリピリしていたからこそ、却って「引き金を引いたら、えらいことになる」という理解が定着して、ある種のブレーキになっていた一面があるんじゃないか、ということ。

もちろん、「あわや」という事態に発展したり、領空侵犯したとはいえ民間の旅客機をいきなり撃墜したり、水上艦が物理的な意味でぶつかり合う事態が起きたりもした。ただ、それで直ちに ICBM が飛び交う事態までエスカレートするかといえば、そこまでの恐怖感はなかったと思う。一般市民のレベルでは。

無論、各国政府や軍の首脳のレベルであれば、事情も状況の見え方も違っていただろうけれど。

ともあれ、大事なのは、その「エスカレートを自制する、ある種の秩序のようなもの」の存在。ないしは、存在すると思わせる何か。それが、今の中国や北朝鮮には欠けているんじゃないかと思えることがある。

だからこそ、冷戦期よりもむしろ今の方が「本当にミサイルが飛んでくるかもしれん」という危機感が強まっていて、故に冒頭で書いたような、市中における一般市民の会話で北朝鮮のミサイルの心配をするような場面が出てきているんじゃないか、と。


そういえば先日から、政府の「ミサイルが飛来したときにどうするか」の CM が始まっているらしい (テレビをあまり見ないので現物は未見)。

真上から直撃弾を食らえば、それはさすがに助からない可能性は高そう。でも、そうでなければ、何もしないよりは自分の身体を護る姿勢をとる方がいい。飛行機の安全ビデオにある「衝撃に備える姿勢」みたいなものか ?

なんにしても、過剰に怖れるのも、過剰に軽侮するのもどうかと思う。適切な認識を持つには、まず情報と知識の提供が必要。もちろん、それに対してケチを付ける人は出てくるだろうけれど、そういう人は何をやったってケチを付けるものだからねえ…

とりあえず「○○があれば護りは完璧 !」も、反対に「○○で護れるはずがない !」も、両極端に振れてるからスルーしていい。だいたい、現実的な答えは中間あたりに転がっている。

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