Opinion : 誰も幸せにしない正義の棍棒 (2017/7/31)
 

前回に書いた話を要約すると、「マスコミ報道でもネット上のやりとりでも、瞬間芸の要素が強まってきているんじゃないかなあ」という話になる。インスタントに善悪・白黒つけてバッサリやるとか、分かりやすい「悪役」の首をとれば万事解決とか。

逆に、背景事情から筋道立てて説明しなければならないと「前置きが長い」といって、途中で読まれなくなりそう。また、善悪・白黒を明快にしないで曖昧さがあると、それも「ハッキリしろ」と文句をいわれそう。

そして、例の「自分らが信奉する正義」という尺度の問題。特に新聞はそういう傾向があるように思えるし、テレビも似たところがあるけれど、「自分らが信奉する正義」にかなう相手は好意的に取り上げられがちだし、そうでなければ逆になりがち、と。

分かりやすい例が、現アメリカ合衆国大統領。「大統領が気にいらねぇ」となると、政権に関わるネガティブなニュースが出てくる度にホイホイ取り上げる。それが本当に「権力の監視」になってるのかどうか。疑問だ。

おっと、日本でも似たようなもの。例の日報問題にしても、文書の管理や保全とか、文民統制とかいう大事な話はそっちのけ。分かりやすい「隠蔽は怪しからん」という話から、防衛相の首をとることに行ってしまったきらいはなかったか。

いいかえれば、日報云々は単なる名目ではなかったか。「大臣の首をとることが権力の監視」というマインド セットが、「大臣の首をとるためなら何でもあり」という話につながっていないか。


さて。そういう状況とか傾向とかいったものを、しっかり飲み込んで認識した上で、うまいこと利用しようとする人が出てきてもおかしくはない。

たとえば、自分が展開しようとしている主張、自分のお手柄につながるような主張を広めたい、通したいとなったときに。とりあえず、自分を「善玉」、対立する誰かさんを「悪玉」に分ける。でもって、おおっぴらに逆らうのが難しそうな、「正義の棍棒」のエッセンスをちりばめる。

そこのところの料理の仕方を心得た人にかかれば、うまいことマスコミを釣り上げて火のないところに火の手を立てて、それで物事を自分に有利な方向に運ぶ。もしくは運ぼうとすることは可能じゃないか。

実際にそういうことが起きても、たぶん、釣られた側は釣られたとも利用されたとも思わない。「弱者の味方をして社会正義に貢献したー」と思っている。本当に貢献しているのかどうかは知らんけど。

そこに「政治力」というブースターが加わると、さらに威力が増す。いや、具体的に誰のこととはいいませんけどね。


上の方で「正義の棍棒」という言葉を使ったけれど、それに絡んで「興味深い」と思ったのは。

何かを主張する人に対して、「いいたいことは分かるが、そのやり方はまずいのではないか」とか「その理想はいいが、実現を急ぎすぎてないか」といった類の意見が出てきたときに、たいてい、噛みつき返す人が現れる。

たとえば、バリアフリーの問題はどうか。車椅子で移動しようとすると、健常者が徒歩で移動するときには問題にならないようなところで、ひっかかることがある。それは、自分も入院中に車椅子で移動しろといわれた時期があるから、若干ながら分かる。

病院の中という配慮が行き届いている場所でも、「徒歩で移動するのと比べると車椅子は大変だな」と思った。まして病院の外に出れば、はるかに大変だろうとは想像できるし、それをできるだけ解消したいというのは分かる。

ただ、「理想を達成するなら何をやってもいいのか ?」といえば、それは違う。そして「目的達成に向けて漸進的に進んでいるではないか ?」といっても、急進的正義の棍棒派は納得しない。今すぐ理想を実現しなければクソだといい、理想を実現するためなら目的は手段を正当化するという。これでは、話が噛み合うはずがない。

結局のところ、それって「正義の棍棒」で殴ること自体がひとつのエンターテイメントになってるだけ。そして、次々に新しいネタを見つけては殴って回るだけで、誰も幸せにならない。そのお先棒を報道が担いだとしても、決して社会正義にはつながらないだろうに。

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