Opinion : アンチ不謹慎警察 (2018/9/10)
 

前にも似たような話を書いたかも知れないけれど、かまうものか、全速前進。

自分ぐらいの歳になると、「喪中欠礼」の葉書をいただかない年はないといっていいぐらいになる。

無論、自分の身内が亡くなったということであれば、喪に服するのは自然な成り行き。それに対して周囲も配慮するから、「年賀状は出さない」ということになるのだろうと理解している。(間違った理解だったらゴメン)

でも、自分と直接の関係のないところで発生した不幸にまで、いちいち付き合うかというと、それはしないのが普通。第一、それをいい始めたら際限がなくなって、年賀状というモノが成立しなくなりかねない。

これは、遠く離れた土地で発生した事件や事故や災害に対しても通じる話。目の前で被害が起きているならともかく、遠隔地では、できることといっても知れている。

もっとも、若くて馬力があれば、あるいは何か役立つスキルを持っているのであれば、ボランティアに志願して現地に赴くのもアリ。実際、それをやってのけた知人もいるけれど。


それはそれとして。遠く離れた土地で災害などが発生すると、その後でやおらハッスルしてネット上で監視活動を始めて、いちいち「不謹慎だから自粛しろ」といちゃもんをつけに来る人がいる。特に顕著になったのが東日本大震災のときだろうか。

もっとも、あのときには被害規模も空前だったが。自分も、しばらく前に訪れたばかりの場所が悲惨なことになっているのを見て泣けた。

この「災害が起きたのに不謹慎だ、大人しくしていろ」といちゃもんをつけに来る人を、ここでは「不謹慎警察」と呼ぶことにする。これを書く前に検索してみたら、同じ言葉を使っている方はすでに結構いらっしゃる様子。誰しも考えることは同じか。

「不謹慎警察」の何が怪しからんかといえば、経済活動をシュリンクさせてしまうことである。

余震が怖いとか計画停電のトバッチリとかいう事情もあるにせよ、東日本大震災の少し後、繁華街があまりにも深閑としていたのは衝撃的だった。

たとえば、普段なら人であふれかえっているアメ横に人がいなくて、ガラガラなんてもんじゃなかった。もっとも、閉まっているお店が結構あったような気もするけれど、それにしても。(上野駅だって深閑としていたのである)

これが直接的に「不謹慎警察」のせいであるとはいえないにしても、人が出歩かなくなり、おカネを使わなくなる状況に輪をかけるぐらいの影響はあったかもしれない。現にその後、外食産業の苦境が伝えられなかったっけか ?

しかも忌々しいのは。「不謹慎だ」といって人々を縮こまらせて、それで何か被災地の役に立つかといえば、なーーーーーーーーーーーーーーーーんの役にも立たないのである。


とどのつまり、「不謹慎警察」とは、「不謹慎だ」といって自粛を迫ることで「いかにも被災者に寄り添ってます」という「いいことをした気分」「正義の味方になった気分」を味わうのが目的なんじゃないのか、と考えている。

でも、それが本当に「いいこと」になって役立っているのかどうかは、前述のように別問題。被災復旧のためには先立つものが必要だし、復興・再建のためには現地におカネが落ちる必要がある。消費活動を自粛したところで、復旧と復興のどちらにとっても阻害要因にしかならない。

実のところ、この「いいことをした気分」に対する欲求というのは始末が悪いところがあって、ついついひっかかってしまいがち。それに便乗して商売した人までいたのは、だいぶ昔に槍玉に挙げた通りである。

当事者は「ムーブメントを起こしました」とドヤ顔していたけれど、肝心の問題解決は他人にぶん投げるという代物。そこのところは不謹慎警察に似ている。

もっとも、何か災害がある度に「がんばろう○○」という掲示が出てくるのにも釈然としないところはあって… という話は以前に書いたか。これも、違う形の「いいことをした気分」なんだろうか。足の引っ張り合いよりずっといいけど。

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