Opinion : 駄洒落論 (2018/9/24)
 

世間は連休中でもあるようだし、今日はヒマネタで。

オフ会の席で「井上さんといえば駄洒落」なんていわれることがあって、それは間違ってはいない。「地」でやっている部分が七割ぐらいで、残りは「演出」でやっている部分といえなくもないけれど。(注 : 比率はテキトーです)

駄洒落ツイートをすると「審議中」なんてリプライが飛んでくることもある。でも、ダジャレ砲をぶっ放す側からすれば、これは「勲章」みたいなものなので、まるで反省していない (←

駄洒落というと「オヤジギャグ」なんていわれ方もしていて、ダメなものの代表例みたいな扱われ方をしているけど、ちょっと待て。というのが本日のお題。


駄洒落と替え歌は、苦吟してひねり出したものよりも瞬間的に閃いたものの方が面白いことが多い、というのが昔からの持論。ウンウン唸ってひねり出したものは、たいてい切れ味がよろしくない。

じゃあ、その「瞬間的な閃き」はどこから来るのか。目で見たり耳から入ってきたりしたフレーズの中の、どこか特定の単語が、頭の中に格納・インデックス化されている何かの単語と結合する。

それがすなわち「閃き」で、後はそれをひとつの文章に仕立てるだけ。すると駄洒落ツイート or 駄洒落発言がひとつできる。

その「格納・インデックス化されている何かの単語」の引き出しは多い方がよろしい。常々「ボキャ貧には駄洒落は飛ばせない」といっているのは、そういう理由がある。語彙が豊富でなければ、結合させようにも材料がない。

ところが、実はもうひとつの要素があって、それが「フレーズをぶった切る」というプロセス。

単語同士できれいにマッチングすることもあれば、フレーズ中の単語を途中でぶった切って別々の単語とマッチさせることもある。逆に、フレーズ中の複数の単語の連なりをひとつの単語にマッチさせることもある。

となると、単語単位のマッチングだけでは済まないわけで、さらに処理が複雑化する。それを瞬間的に頭の中でやるわけだから、頭の回転が速く、単語単位のマッチングに加えて前後に伸ばしたり切ったりするプロセスまでこなせる方が、ダジャレ砲の出弾率が高い。

だから、駄洒落がポンポン出てくるのは、語彙が豊富で頭の回転が速いことのひとつの現れなのである。どうだ参ったか (←


替え歌にも似たところがあって、まず「元歌」という材料を豊富に持っていないと始まらない。駄洒落でいうところの語彙と同じ。しかもそれは、皆がよく知っているものの方が好ましい。

なぜかといえば、元歌が分かっていて、それが別のネタに合わせて絶妙に改変されるところが替え歌の醍醐味。元歌が分からないと、どう、絶妙に改変されたのかが分からないので、面白みが激減してしまう。

そして、全体を通じて絶妙に改変する必要はなくて、「ここぞ」という一ヶ所がビシッと決まっていればよい。後は適当に改変すればなんとかなる。ときにはタイトルの改変だけで爆笑を誘えることもある。

その一ヶ所をビシッと決めるのも言葉遊びの一種であり、ダジャレ砲に通じるところがあるかも知れない。

あとは、気持ちのゆとりというか、一歩引いて冷めた視点というか。何かを批判したり叩いたりするのに、真正面からまなじりを吊り上げてキーキーいう人は多いけれど、そういう人が替え歌という手段に訴えても、なぜか面白いものができない。

御本人はうまいことやったつもりでいるんだけど、「批判したい」とか「叩きたい」とかいう心情ばかりが表に出ると、面白くならない。要するにゆとりがないのである。

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