Opinion : 時代の区切り方 (2019/1/7)
 

年末年始にかけて、いつも通りに帰省していた。自宅と違うのは、ほとんど常時といっていいぐらいにテレビの電源が入っていること。

そのテレビ番組のアナウンサーや司会者、あるいは CM のナレーションなどが、やたらと「平成最後のほげほげ」を連呼していた。あまり何度も何度も出てくるものだから「だからどうした ?」と思ってしまった。(←偏屈)

もっとも、しつこくなくても同じだったかもしれない。「平成とはどんな時代でしたか ?、とアンケートを採ってみました」のニュースあたりから続いていたモヤモヤが、根底にあったと思われるので。


日常生活において「暦」がないといろいろ困ってしまうし不便を来すから、なにがしかの尺度に基づいて「暦」を作る必然性は分かる。

ただ、今回の「平成最後のほげほげ」についていえば、話は少々違う。元号が変わるといっても、連続して流れている時間の区切りがひとつできる、という話だから。元号が変わるだけで時代が大変化するマイルストーンになるのかといえば、たぶんそんなことはない。

つまり、元号が変わるとは、分かりやすい節目がひとつできるという話。それ以上の話でもそれ以下の話でもなくて。

だからといって、自分が皇室に否定的な見解を持っているわけでは断じてない。普通に敬愛の念は抱いている (つもりでいる)。そのことと、元号が変わることによる影響の評価は別の問題、とはいいたいけれども。

もともと、平素から年末になると新聞・テレビあたりが先頭に立って「今年一年を振り返る」とか「来年はどんな年になるか」といったことをやるのは通例。ただしなぜか、「年」を単位にする場合には、あまり違和感を感じていなかった。

では「平成最後のほげほげ」が引っかかったのはなぜ ?

ということで、あれこれ思案してみた。その結果、「年」は一定間隔で切り替わるけれども、「元号」は天皇家の代替わりという要因次第なので不定間隔だからじゃないか、というところに思い当たった。

昭和みたいに 60 年以上も続くことがあれば、大正みたいに十数年ということもある。平成は昭和の半分ぐらいか。

ひとつの元号が長く続けば、その間にいろいろな事象・イベントが発生する可能性は上がる。短い期間で終わりになれば、逆になる。しかも長くなるか短くなるかは場合によりけり。今回のように、崩御ではない事情で変わることもある。

その「場合によりけりで伸びたり縮んだりする尺度」を単位にして「○○時代はこんな時代でした」と総括することに違和感を感じたのではないかなあ、と。とりあえずの結論は、そんなところに落ち着いた。


と、ここまで大真面目に (ホント) あれこれ考えつつ書いてみたわけだけれど。

実のところ、TV 番組や CM なんかで「平成最後のほげほげ」を連呼するのは、単に「2018 年の末らしいキーワードを他に思いつかなかったから」「とりあえず、これにしておけば無難だろうという横並び意識」というあたりが真相かもしれない。

「平成とはどんな時代でしたか ?」アンケートにしても、毎年の「今年はどんな年でしたか ?」と同じ調子でやっただけ、というのが真相かもしれない。

と、身も蓋もない落とし方をしたところで、今年もよろしくお願いします。

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