Opinion : 車販は手段、目的は供食 (2019/2/18)
 

昨年、函館から東室蘭まで「スーパー北斗」に乗ったら、たまたま車内販売を試行している列車だった。以前は JR 北海道が自前で車内販売を行っていたが終了、代わりに車内で時間を限定して物販を行っていたもの。

ただ、これは定着するには至らなかった模様。これに限らず、在来線では車内販売の撤退が進んでいる。今ではむしろ、車内販売がある列車の方が珍しいぐらい、かもしれない。それどころか、新幹線でも車内販売のない列車が増えている。

当然ながら「悲報」扱いされるし、「維持しないとは怪しからん」と吹き上がる人もいるし、そこまで過激でなくても「なんとかならんか」考える人もいる。それで前述のように、時間や区間を限って限定的に試行あるいは再開する事例もあるけれど、定着はしていない。


車内販売の利点は、「自席にいても先方から売りに来てくれる」(山がマホメットの方に来てくれる… え?)、という点に尽きる。食堂車だと、こちらから食べに行かなければならないけれど。

まあ、その「こちらから食べに行かなければならない」が気分転換になる、という一面があるのは否定しない。ただ、自席に荷物を置きっぱなしにして食堂車に行くのは、ちょいと不安があるよね。という意見はあると思われる。

ただ、扱う品目はそれなりにいろいろ用意しないといけない。ただ単に車内を行き来しているだけのものではなくて、最初に扱う品物を車内に積み込んで、販売が終わったら降ろす、という大変な作業がある。それを改めてワゴンに積み直す仕事もある。

そして、多様な品物を載せたワゴンを押して車内を回るのは、相当な肉体的負担。しかも車内販売、若い女の子が担当していることが多いのだから、なおさらである。「脚が太くなるから車販の仕事はヤダ」という女の子がいるかどうかは知らないけど。

要は、それだけの負担をおしてでも継続するだけのメリットがあるかどうか、という話になる。まして、人集めが大変になってきている昨今、人件費の負担は馬鹿にできないだろうし。

そこで話を根本的なところに立ち返らせてみたいのだけど。

車内販売が必要になった理由は何か。昔みたいに、乗車時間が長くて半日あるいは一日がかりの移動になれば、途中で必ずメシの時間に引っかかる。窓が開くなら窓を開けて駅弁を買う手があるし、停車時間が長ければ途中駅で外に出て食う手もある。

でも、停車時間が短ければ、途中駅で買ったり食ったりというのは成立しない。だったらお店が車内に出てくればいいんじゃないの、というのが車内販売の本質だったのでは。

ところが、スピードアップによって乗車時間は短くなれば、食事の時間に引っかかる率は減るし、商売が成立するだけの営業時間もとりづらくなる (それが先に出たのが食堂車)。


煎じ詰めると「乗客を飢えさせない」ことが本質なわけで、それをリーズナブルに、採算がとれる形で実現できるソリューションがあれば OK、ってことではないの ? そうなると、乗客 (の中の、そのまた一部) だけを対象とする車内販売は、分が悪い。

そこで「いまあるものが無くなるのは嫌だ」ということで、あれこれ理屈をこねてみても、ちと説得力が足りないような気がする。

大事なのは、「食べたいものを食べたいときに食べられる仕組みを作る」ということであって、それをどう実現するかは別の問題。ある手段が維持できなくなったら、別の手段を模索する。そういうことなのでは。

ついでに身も蓋もないことを書けば、移動手段を選ぶのに「車販があるからそっちに乗る」という人、いないでしょ。普通は自分のスケジュールや予算に照らして、それに合う移動手段を選ぶわけで。

たぶん、車販そのものが人を引きつける誘因になっている珍しい例外が、新幹線のアイスではないか (爆)

それにね。食堂車を連結した夜行寝台特急が、東京駅から何本も西に向かって旅立っていた時代だって、「出発前に東京駅の大丸の地下で食い物を調達してから乗る」というスタイルはあったのだ。

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